なかよしおじさんズ(下・雷門小助六「(鳴り物入り)蛙茶番」毒チラ吐き)

仲入り休憩後は雷門小助六師。
夢丸さんは今浅草のトリですが、私のほうは先日、住吉踊りの芝居がありました。
踊りだけだとお客さんも飽きますから、コントみたいな、茶番を挟みながらやるわけです。
私は毎年、師匠と茶番入りの踊りを出します。
二人で踊りたい師匠に、いろいろ絡んでいく役割です。
最後、師匠の股ぐらから顔を出して、ピースサイン。これを楽屋の後輩が撮ってくれたので、SNSにアップしました。
「これがやりたくて噺家になりました」とコメント付けて。
そしたらあとでお客さんに、「師匠の股ぐらから顔出したくて噺家になるなんて、変わってますね」と言われました。
冗談が通じない世界です。

小助六師は最近になって聴くようになった人。ようやく個性がわかってきた。
オープニングトークでも全開だが、なにかひとこと毒を発せずにはいられないらしい。
でも、本当の毒舌じゃなくて、すべて予定調和的な。
伯山とは違い、ギリギリ人はいいらしい。
ただ毒舌を導くご本人の感性そのものについては、結構マジみたい。

雷門助六という名前は、上と下がセットです。
古い名前はだいたいそうですね。夢丸さんは三笑亭ですけど、この名は三笑亭可楽から出ています。
山椒は小粒で、というシャレですね。
春風亭柳枝なんていうのも、春風に柳がそよぐ意味ですね。
あるいは三遊亭圓生。3つの遊びからまるく生まれるという意味で。
雷門助六は、もともと芝居の当たり役から出てまして。助六所縁江戸桜ですね。
主人公から取って、初代は花川戸助六だったんですよ。
ただ、これじゃ名前がシャレになってません。なので上を替えようと。
当時浅草の仲見世に、おもちゃ屋があったんですね。竹細工なんかの玩具です。このお店の名が助六で。
だから雷門助六は、実在のおもちゃ屋から来てるんですよ。ちょっと残念な名前でして。

芝居の役揉めから、「勘平式」のマクラ。
ここで笑った人は、かなり古い人ですと。
「茶番」を回収して蛙茶番。

トリにしては軽いネタだね。そう思ったらひと味違った。
鳴り物入り。
楽屋で出番を終えた鯉橋、夢丸両師が太鼓とバタバタを入れてくれる。
蛙茶番の劇中劇(天竺徳兵衛)をたっぷり演じるのだ。さすが小助六師。
いつも書いてることだが。かつては芝居噺というものは、芝居に行きたくても行けない客に、芝居の楽しみを味わわせてくれるものだったという。
そういうルーツが感じられ、嬉しい限り。

芝居のシーンが、むき出し半ちゃんをいったん脇に置いてたっぷりと。
客が素人役者に感心して声を掛ける。
それどころじゃないですよ、舞台番をご覧なさいと、ここで馬鹿半にスポットが当たる。
芝居をしっかりやったおかげで骨太の一席。

小助六師が降り、鯉橋、夢丸両師が登場。
下品な一席でしたね。われわれ新潟県民にはできません。
千葉の人はさすがです。下品な噺を見事にやりました。
小助六師が戻ってくる。時間までちゃんとトークするように言われてます。
そして、夢丸師にお花。
蛙茶番で、芝居のシーンは珍しいんです。先代の文治師匠がやってました。
今は遊三師匠がされますね。
そしてお二人に太鼓を入れていただきました。さすが笛吹きです。鯉橋師は、いや私は笛は諦めました。

芝居のワークショップに通ったなんて話も。

先代文治師匠は、役者さんと付き合いが深かったですね。河原崎権十郎とか。
ただ、歌丸師匠が文治師匠を飛ばして役者さんと仲良くするようになって、それで文治師匠、歌丸師匠と仲悪かったんですね。
今度、先代文治の追善興行もあります。
文治みたいに続いている名前はいいですね。柳昇一門も追善興行ありますけど、1日です。
柳昇襲名の話も一瞬出たが、昇太師匠は継がないでしょうしねと、終わってしまう。

小助六師が、この中で襲名といえるのは夢丸さんだけだよね。
小助六も、鯉橋も、一応代数は数えるんだけど、そこらへんに落ちてたような名前ですからね。
鯉橋の先代は、お通夜の鯉橋だったそうで。
人に会うたび、今日はお通夜でと言って、小銭を集めてたんだそうで。

今後の3人の予定を最後に。
小助六師は新宿のトリがある(6月中席)。
昼は文治追善です。昼から入って、私の夜トリまでいなくても構いませんので。
さすがにうめ吉さんで帰られたらイヤですが。
夢丸師は、夜席の芝居のヒザ前。小助六師いわく、一番ウデが出るところです。
鯉橋さんは?
あんまり仕事ないんですけど、仙台花座に出ます。

最後ジャンケン企画で、勝った人がチェキで記念撮影して、サインを入れてもらえる。

実に楽しい会でした。
なぜ落語が好きなのか、その答えは全部この会にある。本当だ。
今月聴きに行った渋谷らくごは素晴らしかったが、このなかよしおじさんズは負けてない。
仲間の空気が漂うだけ、より素晴らしい。
次回は9月22日だそうです。また来なきゃ。

踏切を渡り、ひと駅歩いて田端マルエツで買い物した。
田端のホームを、ヘソ出し親父が歩いていた。シャツをまくって腹が露出している。
なんだ、田端も釜ヶ崎と一緒じゃないか。
そして電車に乗ったら、子供と一緒のお母さんがいきなりキレて、「なら降りる」と上野駅で降りてしまった。
ホームに子供の泣き声が鳴り響いていた。
なんでも、子供が窓の外を向いて座りたいのに、母親がみっともないからやめろと言ってたようだ。
なにもそのぐらいでねえ。
城北は落語でいっぱい。

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作成者: でっち定吉

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