雲助師のたぬき、「人間にしとくのがもったいない」あたりのボケを本気で拾わないのが実に心地いい。
もうひとつ、目線の使い方が本当に素晴らしい。
たぬきがおもちゃ屋の看板をモデルに化けた巨大サイコロがありありと描写される。
転がり出すと止まらないサイの描写もまた。
見事に化けたサイコロ持って、「この目方はどこ行くんだろなあ」とつぶやいているのがたまらない。
質量保存の法則に逆らう噺の疑問を、主人公が客と一緒に飲み込むのだ。
私はこうやって客の疑問を一緒に飲み込む方法を「転宅方式」と呼んでいる。
狸賽の主人公、落語だからもちろん壺皿のたぬきに目を教えようとボケまくることになる。
だが雲助師、ボケのためにボケてない。
主人公にはちゃんと目的があって、伝えるためにはそうならざるを得ないという自然な流れ。
しぐさ落ちのしびれる小ネタ。
トリは白酒師。
メクリをまた裏返してから登壇。
そして座布団を返さないまま着席してしまう。
落語会は真剣勝負、でも寄席は日常なので、手を抜くわけじゃないがもっと緩い、とよくする話。
1席目のマクラでも、百年目リレーについて触れていた。
百年目。みんな前半だけやりたがるんだそうで。説教臭い後半は、若手にやらせたがる。
現在鈴本で文枝師が昼トリを取っている話。
夜は金原亭の芝居だが、最近夜はお客さんが少ない。
世間全般が朝型になってきているし、現に午前中の会に人が集まったりする。
そのうち朝7時の会が開かれるに違いない。芸人は前日酔っ払った勢いでもって、寝ずに上がる。
白酒師の前座時代は、鈴本で上方落語というと、夏の露の五郎師、それから貸席としての暮れの米朝一門会だった。
暮れの会は、一門のお弟子さんがまとめてやってくるため東京の前座はふたり入る程度。
上方落語の人たちは、東京といろいろ風習が違うので面白かった。
楽屋でどこに座るかは、もう名札が張ってある。
そして上方では、先輩の着替えを後輩が手伝う習慣がある。
東京だと、二ツ目になった途端免除されることが多い。本当は師匠だって、ひとりで着たほうが楽なのだ。
ふたりの前座は用を言いつけられ、一時楽屋に不在。
楽屋に帰ってきたら、枝雀が米朝の着替えを手伝っていた。
見惚れてしまい、思わず楽屋の外からそのシーンを眺めてしまう白酒師。
米朝に見つかって叱られた。
東京の芸人はこき下ろすのに、上方の噺家については全面的に敬意が漂っているのがなんだかおかしい。
東京の楽屋の、誰も座らない会長席の話。
前座が座布団敷くのを省略したら、馬風師に叱られた。
そして夏はムダなものとして、末広亭の火鉢。
今はタバコも吸わないので、夏は邪魔。
楽屋で相談の上どかしたら、やはり異を唱える馬風師。
「末広亭には火鉢はあるものなんだ」
馬風師匠にそう言われたら仕方ない。
季節の話題につなげて青菜へ。
CDに入っているものとはずいぶん違っていた気がする。
記憶が混乱するといけないので、CDはまだ聴き直していない。
こんな一席。
- 植木屋は馬鹿だし常識知らず。かみさんも
- 舌バカでもあり、鯉の洗いの味など感じ取れない
- 氷大好き。洗いより氷(バカ)
- かみさんは起きて一歩も動かない。隣の婆さんを支配下において、掃除からなにからすべてやらせている
- かみさんが自ら提案して押し入れに入る
古典落語の数ある演目の中でも、気持ちの良さに重きの置かれる青菜に、なんたる仕打ち。
白酒師、バカ夫婦を上から描写することは避けるが、そうだとしてもいじり倒している。
亭主が、奥方が三つ指付く様子について、「最上級のものもらい」と評するが、かみさんも同じことを言っている。
そして、「それは誉め言葉じゃないみたいだぞ」とたしなめる亭主。
でも、1席めの金明竹よりはるかに気持ちいいのだ。
徹底的にバカ扱いされてる彼らに、実にスピーディーに共感する。
これは、私が大好きな与太郎や、甚兵衛さんに近い。
かみさんが、いいところの出だと思って欲しく自分から押し入れに入るのは、ちょっとしたパラダイム転換。
隣の婆さんが、植木屋の家の前の掃除をしているのが、「命じられたから」であるのと同じく、聴き手にショックを与える。
こんなやり方、よく思いついたものだ。
なにしろ亭主は、女房に焚き付けられるまで、オウム返しをやってみる気なんてなかったのだから。
そしてこのかみさん、いかにも亭主を焚き付けそう。
噺を動かしまくる白酒師だが、1席めと同様、実に注意深く作り上げている。
青菜で大嫌いなクスグリが、「お前大坂に友達いたの? 東京にもいないのに」というやつ。
植木屋の評判入れてどうする。
そんなクスグリは白酒師は入れない。
締めとして、実に楽しい一席でした。
今日の記事書き終えたので、青菜のCDを聴き返す予定。内容かなり違うと思うのだが。
(追記)
なんとCDの内容、だいたい一緒でした。ハルク・ホーガンや「ご調教」もすでに入っていた。
しかしまあ、現場で聴いたからこそ、改めての衝撃を受けたのには違いない。