雲助白酒親子会@亀戸(中・五街道雲助「千両みかん」「狸賽」)

白酒師、前座不在のため自ら高座返しをし、そしてメクリの張られた金属製の見出し自体を裏返していく。裏返したメクリには五街道雲助とある。面白い使い方。
ちなみにトリの一席では、上がる際に自分で替えていた。師匠にさせるわけにはいきませんのでと。

親子会でトリを弟子に譲るのが雲助師のやり方らしい。ただし、仲入り休憩挟んで続けてやらねばならないが。
雲助師、この日聴いて思ったのは「欠点がひとつもない」ということ。
どんなベテラン師匠でも、100%納得がいくなんてことはまずない。客だって感性・感覚はバラバラだ。
だが、現在の雲助師にはまったくマイナス点が見られない。どんな客であっても、気持ちを逆立てる部分がないのだ。
なるほど、候補に挙がった噺家が多数いるであろう中で、なぜ雲助師が国宝に選ばれたのか、腑に落ちた次第。
欠点がないなどというと後ろ向きの評価みたいだが、もちろんそんなことはない。

独演会ではないので、雲助師は個人のマクラは語らない。
梅雨前のこの季節を語る。
昔のかき氷。暑い中の日陰で食べるから旨かった。
冷房のガンガン聴いたパーラーとやらでフラッペ食べても寒くなるだけ。なにがフラッペだ。
季節のマクラに触発されたものか、白酒師もあとで末広亭の火鉢の話など出していた。

お殿さまが夏に氷を食べたいというので、冬の間に雪を突き固めて準備しておくが、夏に出したら溶けていた。
将軍さまが、富士山の氷室から氷を運ばせたが大部分溶けていた。

こんな話から振るのは、千両みかん。
時季は最適である。

こんな特徴がある。結構斬新。

  • 磔刑のグロ描写が実に楽しい
  • 無事なみかんが最後のひと箱にあるご都合主義を、流れで説明する
  • みかん問屋万惣の主人は上方のあきんど
  • 千両箱を駕籠で運ぶ番頭が、帰りはみかん1個抱えて乗っている画の面白さ
  • 若旦那はみかん3袋残し、父と母、そして祖母にやってくれと伝える(番頭のぶんはない)

誤解を恐れず言ってしまえば、雲助師の千両みかんは、ハリツケの、微に入り細を穿つ描写を楽しむものではないかと。
もともとそこはこの噺の肝でもあろうが、それにしても楽しい。
主殺しの罪人が、赤錆びた槍をあばらの下から一気に突き立てられる描写なんて、どう考えても楽しいはずないと思うけど。これに堂々と挑んで、爽快感だけ残していくってどんなウデなのであろうか。
別にナンセンス色を強めているわけじゃない。ハリツケの説明をする八百屋だって、番頭さんをからかってるわけでもないのだ。
真っ向から描写しているのである。
あえて言うなら、番頭の刑に対する怯えが噺の前面に出ているから楽しめるのだろうけど。

みかん問屋万惣のくだりは、多くの東京落語の千両みかんと異なるものだった。上方の要素が濃くて、主人も関西人。
無事なみかんは最後のひと箱にあるわけだが、雲助師によると、最後に向けてだんだん傷みが減少してきている。だからあるとすれば最後なのは必然だったのだ。
みかんの値段決めは上方方式。当初、タダでくれるところだった。
だが番頭が商売してくれと返すので、千両と言う値段が付く。
このほうが、毎年みかんを囲って腐らせている問屋の意地には似つかわしい。
余計なこと言ったと悔やむ番頭に対し、お店の大旦那は安いと言い、若旦那はふうんと一言。

若旦那がみかんを割と素早く食べてしまうのを、番頭がやきもきしながら実況するのがもうひとつの笑いどころ。
そして結構驚いたが、番頭のためにはみかんを残してやらない若旦那。
小さい頃から面倒を見てもらっていたのに、使用人に対しては一線引いているのだった。
別に番頭としても、そのことに不満があるわけではない。ただ、これが逐電にスムーズにつながるわけだ。
弟子も師匠も噺を動かすが、雲助師のやり方は弟子とは相当に違い、最初からそういう古典落語であるかのように動かす。
人間国宝は創作力の著しく高い人だ。

新たなスタンダードになりそうな、見事な大ネタでありました。

仲入り休憩後はまた雲助師。
今度は軽い噺を出す順番。

狐狸は人を化かすから、たぬきへ。
賽のほうだった。もちろん有名な噺ではあるが、前座はまずやらないし、博打の噺も多くは看板のピン。
しょっちゅう聴いているわけでもない。
落語協会では、たぬきは鯉のほうがよく出るようになったかも。
狸の釜は、珍品大好き柳家圭花さんからしか聴いてない。

私は、落語におけるツッコミの変遷に興味がある。
仮説の段階を出ないのだが、かつて落語のツッコミはごく穏やかであり、それがお笑いの影響でもって一時的に強くなり、そして現代、二ツ目以下を中心に、再び穏やかになったと考えている。
ちなみにツッコミが穏やかになり、ヘタするとボケっぱなしになったのもまた、お笑いの新たな影響だと考えている。
相手を否定しない時代だからだろう。

しかし雲助師も、ずいぶんツッコミが緩いなと改めて認識した。
若手とは違う目的かとは思うが、独自にこの緩さに到達している。
たぬきの子供がふんどし汚れてるのを指摘するのに、とても返しが緩やかである。
楽しい会話の流れを切りたくないものか。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。

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