「落語立川流」が一般社団法人に、代表に立川志の輔さん就任…「登記の日は6並びにこだわった」 (読売新聞オンライン)
今日は「立川流の困った人たち」ではないです。
なにも困ってないので。
はっきりしない情報だけ出回っていて、なかなかニュースが出なかったのが立川流の一般社団法人化。
中央紙のメディアに載ったのは、20日の読売新聞が初めてだったと思う。
私には想像もできなかったことである。
立川流と、社団法人化とがどうしても結びつかない。一匹狼の集団というイメージだからだ。
そもそも、理事会すら崩壊し、消滅していたというのが最近の立川流に関する私の認識。
一般社団法人化の前は「任意団体」ということになるのだが、談志の逝去後は「団体」と呼んでいいかすら怪しいところだったのだ。一門ではあるにしても。
それどころか、積極的に分裂しようとしていた気配すらあって。志らく師もそうだったことを認めている。
代表(会長、と呼ばれるのでしょう)が志の輔師なのは納得。この人しかいないところである。
生志師の「ひとりブタ」を読むと、志の輔師がいかに一門のキーマンとして昔から働いてきたのかがよくわかる。
こういうところが富山県知事候補として世間に認識される部分なのであろう。
そして志の輔師は古くから、肩書のないまま全方位外交を果たしてきている。
数年前、この人が一門の集まりを欠席し、いきなり好楽師の池之端しのぶ亭に出たなんてことがあった。
談志の生前から志の輔師は単なるプレーヤーでなく、一門の中心人物であった。
その人が、立川流が瓦解するままで構わない、そう考えていたとは思わない。
ただ、別の道を想像していたが。
芸術協会会長の昇太師とのパイプを利用し、二次団体として存続を図るのではないかと。なんとなくそう捉えていた気がする。
もっともこれは、恐らく円楽党が現在進行形で考えているやり方だけど。
副代表が談春、志らくというのも普通に納得。
人気で言えばこうなるところ。この人たちも志の輔師と異なり一匹狼気質が強いが、仕事を与えてコントロールしようというとこだろうか。
もっとも一般社団法人化して、立川流という団体の活動がいきなり変わるということはなさそう。
今後も、売れっ子は独演会をし、そうでない人たちが小さな寄席や、お旦のついた会をやるということなのでしょう。
一門会も最低限の数はやっていて、急に増えたりはしまい。
芸術協会との接近は、私が勝手に想像していたよりはずっと薄い。
ところで。
立川志らく、落語立川流・一般社団法人化の“誤解”を説明。「寄席に出られるようになるのか」との声に、師匠の故・談志さんの言葉を紹介(中日スポーツ)
相変わらず志らく師は、言ってることが矛盾してるなあと思って。
そもそも「寄席」の定義から始める必要があるのだけど。
志らく師の語る寄席は、寄席四場のことである。これはもう、社団法人化と何の関係もない。
落語協会と落語芸術協会とで分け合っている枠を持っていないのだから、出ようがない。
31日の余一会にたまに出るのは、寄席の定席に出たことにはならない。
しかし立川流は、談志の理念はさておき、実際には細々と自前の寄席を開催している団体なのである。
むしろ今回の一般社団法人化は、寄席の強化に資すると思われる。
社団法人か任意団体かにかかわらず、団体というのはある程度会員の生活を守るための組織だから。
最近の立川流の「寄席」(寄席四場ではなく、もっと広い意味である)への取り組みはこちらで書いた。
立川流の寄席が増えたと思ったら、実は上野広小路亭の枠を大きく減らされてしまったのが原因という話。
日本橋亭の一時閉鎖による玉突きによるものだとして、それにしては芸協はそのままだし、両国亭はスケジュールが空いているし。
さらに言うなら私の調べでは、立川流の二ツ目は、他団体と比べて神田連雀亭に顔付けされる割合が非常に多いのだった。
むしろ、若手は寄席志向なんである。
こんな実態があるのに「立川流は誇り高いので寄席に出ない」なんて言われましてもね。またそれを信じる人もいるし。
しばらく立川流の、その小さい寄席はご無沙汰している。
先日ひとつ行きたいものがあった。6月17日の「広小路亭夜席・立川流特選落語会<めずらしや珍品噺>」。
将軍の賽 | 半四楼 |
幽女買い | 寸志 |
陽成院 | 談之助 |
(仲入り) | |
てれすこ・序~見たことも聞いたこともない虫~ | 吉笑 |
質屋娘 | 志のぽん |
にせ金 | 志ら玉 |
あいにく前日に出かけたばっかりだったし、夜はなかなか行きづらいのであきらめた。
こんなものがまたあれば行きたい。