堀之内寄席2 その4(桂宮治「大工調べ」下)

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私は落語が好きで、ふわふわして見える落語界がまた好きである。
封建的な世界だが、それゆえになんともいえない魅力に満ち溢れている。
この世界が本来的に、ヤクザに近い性質であることはよく理解している。現在なおヤクザと付き合うことの是非は、また違う話だが。
宮治さんの一連の過激マクラについて、「権威を嗤う反骨精神」として褒めそやすファンもいるだろう。でも、すべての権威を貶めているうちに、いずれテメエの天井が落ちてくると思うよ。
過激な芸風を確立したら許されるのか? それは客が判断する。

宮治さん、これも見事だった以前の高座で、マクラでもって「ホモの文治」と、一門の先輩をギャグにしていた。
桂文治師の二丁目ネタは後輩の多くがやるものだが、「ホモ」と直接的な表現を使っていたのには、結構戸惑った。
あまりにも強烈で、これがきっかけになって「落語と人権」という一文を執筆するに至ったのである。
「恐れを知らない」といえば聞こえがいいのだが、この姿勢はいつか大変な逆境にぶち当たる気がする。

マクラの精神的負担は後を引くものの、そのハンデがあってもなお、本編はさすがだった。
普通の大工調べ以上に活躍する与太郎。与太郎は、大家が本当に怖い。怖すぎて思わず、ギャグを披露してしまう。

啖呵の前までは、劇中のセリフは疑似リアル。
テンション高い話芸でもってセリフを早回しにし、客になんともいえない緊迫感を与える。
現実世界には、こんなやりとりはない。噺の中でのみ、至上のリアリティを持つ。
しばらくこの手法を続けた後で、棟梁と対峙する大家のセリフを、初めて本当のリアルに持っていく。これは明らかに、啖呵の準備である。
そして、啖呵は徹底して啖呵らしく。
もっとも、こんなスピーディな啖呵、実際にはない。序盤の構成とは違うが、これもまた噺の中でのリアルである。

この人は、日頃徹底して稽古しているのだろうな。それがうかがえる。
そして、先人がずっと手掛けてきて、工夫の余地のもはや大きくなさそうな噺について、与太郎を活かすことで徹底的に工夫をする。
天才じゃないかと思ったのは本当。
もっと好きな噺家は無数にいるが、彼らと比べても、圧倒的にこの人が上手い。
この後抜擢されないにしてもだ。

でも、ブラック宮治はしばらく聴きたくない。
これだけ上手くて強烈に面白い人なのに、残念だ。そしてもともと客に愛される風貌をしているのに。小痴楽、松之丞よりずっと。
あの、聴き手を不安にさせ、本編への集中を妨げるマクラが、世間に支持されているのなら、私にはなにも言うべきことはない。今後は演者を選んで聴きたいと思うだけだ。
落語界の内幕を聴いて喜びたいファンだっているだろう。私にだって、その気持ちは結構ある。
でも可能なら、この日は大工調べの本編開始時刻にいきなり会場に現れたかった。
本編の助走にならないネタは、マクラではないと思う。
人権など、現代人が身に付けていなければならない多くの感覚に無頓着なファンだけを、今後も相手にしていくのだろうか。

大工調べの大きな感動と、毒マクラに対する哀しい想いをともに抱きつつ、駅までの長い道を歩いた。

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作成者: でっち定吉

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