黒門亭26(下・古今亭駒治「同窓会」)

そういえば花いち師の出囃子(和藤内)、聴く機会が非常に少なくて、こんなのだったっけと思った。
仲入り休憩を挟んで、今度は古今亭駒治師。出囃子は鉄道唱歌。
よく聴いている人であるが、黒門亭の駒治師、なんと私は初めてらしい。

マクラのときはいつもだが、正面切って語りこむ人。
今日は柳家さん遊師匠と一緒です。
さん遊師匠は、私と同じスワローズファンなので、とても親近感が湧きます。
さん遊師匠は先代の柳亭小燕枝ですね。ヤクルトファンが燕を付けていたわけで、ぴったりです。
で、許せない話がありまして。
今の小燕枝ですよ。DeNAファンなんですよ。DeNAファンが燕なんて許せないでしょ。
もっと許せないのは、弟子を採ったんです。弟子が「すわ郎」と言いまして。DeNAファンがスワローとか付けてんじゃないよと、さん遊師匠に報告しておきました。

これで今日は野球ネタらしい。
同窓会について。
同窓会も、みんながみんな喜んで参加するわけじゃないようでして。わだかまりを抱えた人もいるようです。

同窓会の野球落語は聴いたことがある。
2019年と2020年に、二度聴いている。間も空いているし、今回被ってガッカリはしなかった。
そのままズバリの「同窓会」という噺。
今日の記事は本来、トリのさん遊師のタイトルにすべきだが、「古今亭駒治 同窓会」で検索に掛かりたい。

25年振りの同窓会の通知が大山のところにやってきた。野球部の同窓会。
大山は、昔甲子園に出たのだ。話したことがないから、妻も知らなかった。
思い出したくないのも無理はない。なにしろ決勝(相手はちょべん和歌山)で、熱中症の二塁手に代わって入った大山が、9回ツーアウトで平凡なセカンドフライを宇野勝のごとくおでこに当ててしまい、結局サヨナラ負けしたのだ。
高校も中退し、逃げるように田舎を離れたのだった。

大山をいまだに恨んでいる男がひとり。当時の監督。
決勝で負けた2年後には、野球部のない高校に異動させられ、それ以来手芸部の顧問である。
大山が来たら首を床の間に飾ってやると憤る。

実に駒治師らしい作り込み方の落語。
駒治師は、ストーリーと直接関係ない部分に飛躍を入れ込んでくる人である。
冷静に考えたらストーリーを壊しているのだが、その飛躍こそ駒治落語の持ち味。
そういえば、鉄道戦国絵巻(関西編)を除き、他の噺家が駒治落語をやることはほぼないね。
鉄道落語だからではなくて、たぶん噺の構造によるものだと思う。語り口が重要なのだ。

ストーリーに直接関係ない飛躍は、14番目の子を妊娠している元マネージャーで大山の彼女であるとか、卒業後二丁目で働いているオカマの元球児であるとか。
それから熱中症で倒れたやつは予言の達人。
なによりも手芸部顧問になった監督のストーリーが楽しい。
バカ落語だが、ちゃんとハッピーエンドを迎えて爽快な気分になるのだった。

トリは柳家さん遊師。何のお構いもできませんが。
この師匠は黒門亭こそベストと思う。小燕枝時代からよく聴かせていただいた。

寝床という噺、嫌いではないが格別好きでもない。
どうしてもギャグを成り立たせるため、わざとらしいところが否めない噺だなと思っている。
だがさん遊師のものは、非常に自然だった。自然で驚く。
壁に義太夫が当って下に落ちてくるなんてクスグリまで自然に聞こえる。
そして主人も下手ではあろうが、ドヘタに描かれてもいない。
そもそも、上手いまずいの前に素人義太夫なんて誰だって嫌なんだから。
サブエピソードは極めて少ない。
がんもどきの製造法も短めだし、カシラの言い訳も、かつていた番頭さんのくだりもない。
繁蔵の泣きも短い。
軽やかであるが、物足りなさはまるでない。

習い事についてのマクラ。
さん遊師は若い頃、三代目三木助未亡人に踊りを教わった。
ありがたくも三木助の袴をいただいた。もったいなくてめったに着けてはいない。
噺家はいろいろ習い事をするが、一昔前の芸人に妙に流行ったのがタップダンス。談志もやっていた。
最近亡くなった志ん橋も、タップダンスと新内をやっていた。
あの人ほどリズム感のない男もいなかったのに、なぜでしょう。
そしてひところ流行った娘義太夫。どうする連がついている。
忙しいので人力車で掛け持ちするが、どうする連がみんなで車を押している。
今では義太夫を聴くとなったらもっぱら文楽。

さん遊師、噺をなるべく動かさない。
だから主人の感情の上げ下げもまた少ない。これがたまらない。
感情の起伏が小さいからこそ、主人が機嫌を直すそのちょっとした感情の変遷がたまらないのだった。
機嫌をとる一番番頭のほうも、全然切迫感がない。
いつもやってきたことだし、今回もチョロいもんだ。
師の「笠碁」の仲直りを思い出す。あれも実に切迫感なく軽い。

噺に、アクセントを付けようとして若手がわかりやすく強調しているようではまだまだ。
逆に、アクセントを抑えることで、物語が勝手に弾んでくる。
逆説的だが、これが古典落語なのだ。

退屈など一切してないが、終盤眠くなってきた。
リアル寝床になってしまうとこんな失礼なことはないので、必死でこらえる。

非常に満足しました。
ちょっと黒門亭から離れ気味だが、それでも今年3回。
選んでやってくるととてもいい席です。
またさん遊師も聴きたい。

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作成者: でっち定吉

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