連休初日の池袋夜席に戻ります。
高座返しは三遊亭歌坊さんらしい。
なんとなくだが、書生さんのような雰囲気。書生さんに会ったことないけど。
ところで、出囃子に笛が入っている。前座不足で楽屋に入っている二ツ目の誰かが吹いてるらしい。
でも楽屋に入る二ツ目って、太鼓叩くためにいるんじゃないの? よくわからないけど。
色物はにゃん子・金魚。
今日は代演のためか、バナナの差し入れはなかった。
ただ、最前列のお客が舞台のステップに勝手に私物を置いてるので、金魚先生はなんだろう、これ差し入れなのかしらと横目でチラチラ見ていた。
ダメですよ私物置いちゃ。
金魚先生の頭は、月見。百均で買った小さなうちわに金色の紙を貼ってお月さま。団子はピンポン玉。あとはススキが生えている。
ススキは手芸店かしら。
次も代演で、古今亭伝輔師。
いや、びっくりした。
伝輔師今年も聴いてるけど、「蜘蛛駕籠」が前半すごくよかったのに失速気味だったりして。
二ツ目時代も、そんなに数聴いてるわけじゃないが、感心したことまではなく。
それがいきなり、めちゃくちゃ上手い真打に変貌していて、驚いた。
もちろん噺家の実力なんて直線的に伸びるわけではない。この噺はいいけどこれはダメなんて時代を経て徐々に出世していく。
ともかくも、この日の「首ったけ」は最高だった。
この日の主任、喬太郎師の首ったけよりよかった。これは本当です。
まわりのお客も感心してたし、うちの家内も上手い人だとほめていた。
演技と演出のバランスが最高なのだ。突出しないでしっかり面白い。
1年以内に、池袋下席か、あるいは鈴本でトリを取るんじゃないでしょうか。
別の日の話を思い出したので書く。
丸の内で聴いたばかりの昔昔亭昇さん、「ひと文字の名前で活動してるのは、あたしと古今亭始アニさんだけです」って言ってた。
もう始さんはいません。
その始改め伝輔師。
古典落語にもいろいろ種類がありまして。廓噺というものがあります。吉原の噺ですね。
映画など見て研究しますが、それでも吉原のことはわかりません。
なので勉強のため、新宿の花魁パブに行きました。ダメですね。金髪の女性がドンキで買ったような着物着て接客してくれます。
勉強になりません。花魁パブは楽しかったです。
まだこの時点では、生真面目な雰囲気に「花魁パブ」がハマってない気がしたりしたのだが。
大坂では付きっ切りですが、江戸では廻しを取ります。
というわけで、花魁が来なくてつまらない男の描写。
五人廻しだと思った。あれ、五人廻しって結構な大ネタだから、この枠でできるの? 四人廻しにすれば収まる?
と思ったら花魁の名前が喜瀬川でなく、紅梅。
なんだっけ? 首ったけだ。白酒師もやってるし、古今亭にはあるのだろうけど、珍しい。
廻し部屋に閉じ込められて、お隣(杢兵衛大尽)は賑やかにやってる。
隣に声出して文句言ったら、逆襲される。
男のひとり嘆きというものは、短い。そうか、独り言を延々やらなくても、隣の賑やかさを描写すれば寂しいのは伝わる。
若い衆が白眉だった。
廓の法など持ち出すのではなく、お客(勝っつぁん)に対し、言いたいことを気軽に言う男。
客を慰めようとする気持ちも別に持っておらず、次々シャレをかぶせてくるという困った男。困りはするが、そんなに有害でもないという絶妙さ。
若い衆が声掛けたので紅梅もやってくるが、若い衆と一緒になり、勝つぁんを放り出してシャレの応酬をしている。
シャレの内容なんて覚えていないのだが、この軽い、無責任な造形いいなあと。
かなり演者が作っているはず。
花魁もまた適当すぎる。
勝っつぁんは頭に来て帰ることにするが、玉代けえせとは言ってない。釣りを返せと。
まあたぶん、飲み食いした釣りなんでしょう。
つまり勝つぁんはモンスタークレーマーではなく、少々正当な自己主張をしただけだ。
向かいの店に行ってみると、寝ずの番が居眠りしている。その若い衆を起こして、「隅っこで寝せてくれ」と交渉。
登楼させてくれとは言ってない。
このちょっとしたお願いが、次々上のものに伝わっていく無責任な描写がまたたまらない。
しかし結局はお楽しみ。勝っつぁんには、元の店に決してもう行かないよう念を押したうえで。
新しいなじみの女もできて。
ここから吉原の火事まではあっという間だった。
だが、避難の模様は割とリアル。
吉原の大門は北を向いている。だが本当は浅草側にもうひとつ出入り口がある。
大吉原展に出向いたのでこれは私も知っていた。
おはぐろどぶに板を掛けて、これで避難するのである。
火事はまだ遠いから、ゆっくり避難するようにと花魁たちに指示が出ている。そこに勝っつぁん居合わせる。
足元に気を付けろと言われてるのだが、あいにく紅梅がどぶに落ちてしまって、それを勝っつぁんが助けるかどうかというサゲになる。
噺との運命的な出会いというのはあるものだ。
伝輔師が、首ったけというマイナーな廓噺を見事に手の内に入れた。
この噺で描くのは、本当にささやかな世界。非日常の吉原における、日常の些細なトラブルだ。
パラダイス吉原と言ったって、みんな毎日、自分の仕事に精一杯なのだ。たまには噛み合わないこともある。
そんなトラブルが、本当の非日常である火事の際に、ちょっとだけ噴き出す噺。
伝輔師、その日常をたっぷり描写した。これは、現代人に吉原がわからなくても関係ない。
あくまでも日常なので、ちょっと痛めの若い衆も、強すぎの描写をされるわけでもない。
それがハマりました。