亀戸梅屋敷寄席16(下・三遊亭好の助「らくだ」)

亀戸のトリは好の助師。
すったもんだの昇進前は一度聴いただけだったのだけど、昇進後そのユニークな個性が好きになり、結構よく聴いている。
すったもんだは別にご本人のせいじゃないのだが、その逆風を一気に推進力に変えている。

この日の顔付けに触れ、兼好師も鳳志師も盛り上げてくださって、とても上がりやすいと。
ただこれが、鳳志→兼好の順だと、ちょっと話が変わってくると一言。
この日は兼好→鳳志なので、兼好師が好き放題したあと、仲入りと鳳志師がせっせと耕し直してくれたんだなんて。まあ、よくわかります。
寄席のポジション別の役割というものを、好の助師は端的に物語っている。
兼好師は兄弟子だから、別に悪く言っても構わない。でも、兼好師だってトリの前(ヒザ)に出てきたら、もちろんそれなりに気を遣うのだが。

今日は正月の噺、「御慶」を出そうと思ったが、できなくなりましてと。なんでだろう。別にどの噺ともツいてないし。
「平日の昼間からやる噺でもないのですが」と断って「らくだ」。たしかに正月の噺でもない。
だがこれが、実に気持ちのいい一席でした。

らくだという噺、とても魅力漂う大ネタだとは思う。でも、実際のところあまり好きじゃない。
かつて「落語と暴力」という記事を書いた。そこでも触れたが、私は暴力的な要素の強い落語があまり好きじゃないらしい。
らしい、と付けているのは、最初から演目を色眼鏡で見たりしているわけではないからだ。

らくだという男の暴力性、ふぐに当たって死んだ後も、噺の節々にいつまでも残っている。兄貴分の、丁の目の半次の暴力性と一緒になって拡大を続ける。
こんな奴が町内にいたらさぞイヤだろうなと思ってしまう。こともなくはない。
別にそう思って落語を聴きたいわけではないが、そう思ってしまうスイッチを起動させる高座もある。
そんな前提で、とてもいいなと思ったのが春風亭一之輔師のらくだ。
いつか取り上げようと思いつつまだなのだが、この人のらくだでは、「暴力性」自体をギャグにしていた。
しっかり怖いシーンもありつつ、客の暴力に対するスイッチを発動させない見事な一席。
だが、別の方法論もあるかもしれない。
そもそも暴力性を、噺の遠景に追いやってしまったらどうだろう。暴力のもたらす笑いだけは取り入れつつ、うっかり変なスイッチを押さないほど遠くに。
それが、この日の好の助師のらくだ。まるで理屈っぽい私のために掛けてくれているような一席。
丁の目の半次については、「怖い人なのだ」というメッセージだけを残す。私がよく書いている、登場人物の記号化の一環である。
自分の説に噺家さんを寄せたらいけないけど。でもそう思ったのだから仕方ない。
怖いイメージだけは残るが、真の怖さはない。好の助師の面白い顔が貢献しているというのもあるだろう。
そういえば、面白い顔で演じる双蝶々も聴いたっけ。

好の助師、かんかんのうの仕込みを忘れて大家の家に行ってしまった。
大家に、「死人にかんかんのう踊らせると言ってます」と語ってから、仕込んでないことに気づいたか。
でも慌てず、大家の口で「本当にそんなこと言ってたのかい」。くず屋が返して、「言ってなかったかもしれません」。
落語なんて、失敗も含めたドキュメンタリー。うまくカバーすれば、失敗がバレたってむしろ面白い。
そういえば、笑福亭仁鶴師は、「くっしゃみ講釈」で間違って、売り切れているはずの胡椒を買ってしまい、気づいてわざわざ返しに行ったそうで。しかもそれがCD化されてしまった。

一般的な、わりと暴力に充ちたらくだだと、「くず屋の逆襲」がひとつのポイントとなる。
だが、好の助師のもの、逆襲以前に、くず屋はそれほどひどい目に遭っていない気がする。
商売を邪魔されて迷惑なのだけど、大変乾いた味わいなので、そんなこともあるのではないかと思う。たとえて言うなら、災難といっても「うどん屋」「蜘蛛駕籠」レベル。
だから逆襲で盛り上がるということはないが、全然問題ない。
くず屋と半次の立場が入れ替わるにあたって、くず屋に感情移入する必要はないのだ。バカな二人、立場が逆転したところで実は大差ないのである。
彼らのやり取りを遠巻きに眺めて、くすくすしていればいいのである。
そしてくず屋の酒乱ぶりは、遠巻きに眺める価値のある、楽しいもの。

時間はまだ余っている。なので、この先があるだろうと予想はつく。
菜漬けの樽にらくだの死骸を押し込んで、落合の火屋に出向くふたり。
重いと感想を述べる半次に、くず屋、なに言ってやがると。かんかんのうのときは俺がひとりで担いだじゃないか。
これもまた、逆襲して爽快感を覚えるというギャグでもない。とぼけたやり取りがひたすら楽しい。
ちなみに、死骸を四肢をぽきぽき折って収納するグロいシーンはない。
こうした部分から、らくだの暴力性を消す演出、たまたまではなく狙ってやっていることがうかがえる。

酔っぱらっているのでらくだを落っことして、拾いにいって間違って願人坊主を入れてしまう。
サゲは本来、「ヒヤでいいからもう一杯」だが、かんかんのうを使った新たなサゲを付ける。
大満足。

終演後のロビーに、真打昇進の決まった楽大さんもいた。
そういえば仲入り休憩時には、外で携帯電話で話しながら誰か(師匠かな)に頭を下げている、二ツ目の好好さんもいた。
亀戸は、出演していない噺家が妙に多く来て、客の目の触れるところにいるので面白い。

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作成者: でっち定吉

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