両国寄席8 その4(三遊亭萬橘「長屋の花見」下)

季節ものに関わらず、長屋の花見は幼少時に私、先代小さんでたびたび聴いた記憶がある。
同じく小さんの粗忽長屋とともに、私の落語の原点といっていい噺だ。
それが、萬橘師によってまるで違う型になっている。
自分の好きな落語が変えられてショックか? いや、全然そんなことはない。作り替えた長屋の花見が、既存のものと一緒になって、3D映像になって浮かび上がってくるではないですか。
そこに落語の本質が垣間見える。

さすが古典落語リノベーションの天才、萬橘師。
現代風のギャグを入れて古典を斬新に演ずる人はいる。だがそういう作り替え方ではないのだ。
噺の構造からなにからリノベーションする。しかも、江戸時代であっても矛盾しない時代背景のままで。
萬橘師からはいつも大きな衝撃を受ける。よくできた新作落語を聴いたときよりも、さらに大きな。
歴史的に、この長屋の花見が最初にあった型だと聴いても、納得してしまいそう。
大工調べに魂を揺すぶられ、時そばで電気ショックを受け、さらに長屋の花見。
スリーダウンでノックアウト。

道灌とか一目上がりみたいな前座噺を軽くやったって、実に上手くて楽しい人だが、そこに噺の再構築まで加わるのだから。
この新版・長屋の花見だと、酒と肴の正体を知りつつ、がっかりして山に向かうなんていうことはない。最初から最後まで、テンションを維持したままなのだ。
そして、花見のいい場所を取っていることの説明もできている。

花見会場のドタバタ。そして遅れてきた野郎がひとりいて、こいつが改めて酒と肴の被害に遭う。つくづく作り方が上手いのだ。
「酒柱が立ってまさあ」で落とさず、さらに先に。
この先を続けるなら、普通は、今はほとんどやらないストーリーにつながるのしかないところだ。長屋の連中のやらせ喧嘩で逃げ出した、隣の酒肴を飲み食いしてしまうという。
だが違うのだ。
ここまで作り変えた噺に、さらにオリジナルストーリーがついているからすごいではないか。
隣町の連中が来ていて、目が合う。酒もらおうかと言いつつ意地を張ってもらいにいかない長屋の衆。
だが、プライドのない与太郎だけが頼みにいって、酒をもらってくる。
このサゲ、聴いてる途中で、落語ファンならだいたい誰でも先は読めるんじゃないかと思う。
読めるけど気にならないし、萬橘師もネタバレは別段恐れていないと思う。バカな連中が活躍する楽しい世界では、こんなサゲがとても楽しいのであった。

いや、すばらしい。落語研究会で出して欲しい見事な一席。研究会のほうも萬橘師を呼んで欲しい。
落語研究会で孝行糖だけオンエアしたことがあるようだが、これ持ってたかな?
NHK演芸図鑑ならそのうち、この長屋の花見が掛かりそうに思う。酒柱まで12分でできそうだし。

萬橘師、古典落語のリノベーションというよりも、さらにいうなら、噺の本質を見抜いて最短距離でアプローチできる人だということ。
古典落語に常に疑問を持ち、最適な動かし方を常に考えていた人というと、この人の前は立川談志まで遡らないとならないのではないか。
ひょっとして、談志の方法論をもっとも強く受け継いでいるのが、円楽党の萬橘師ではないだろうか。
萬橘師が新作落語をやらなくなっている理由も、感覚的にわかる気がする。
一から噺を作る新作落語の経験が現在の萬橘師に生きているのは間違いない。だが、古典落語に迫り出してみると、さらに奥深い領域が広がっていたということだろう。
談志が新作嫌いだった理由まで、初めて理解できたような。
私が新作嫌いにはなることはないが、萬橘師については今後も古典落語を聴きたいな。

仲入り休憩時に、スウェーデン人前座のじゅうべえさんがいて、客に再開のアナウンス。
先日亀戸でひさびさにお見かけし、日本語がやたら上手くなっているので驚いたのだ。
この日はもう、姿を見ていなければ、日本人が喋っているとしか思えない。
よほど落語の稽古をしてるんだろうな。

続きます。

 

長屋の花見/権助魚

作成者: でっち定吉

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