林家正蔵「蛸坊主」

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落語ライター(笑)の丁稚定吉です。
まとまった落語の仕事をした。ようやく仕上がったところ。
好きな落語の仕事ができて非常にありがたいことです。
まあ、今後しばらくはあるまいが。

このブログは仕事ではない。昨日、また更新しませんでした。
いよいよ寄席に行くつもりだが、その後は毎日更新となるかどうか?

土日の鈴本の配信はとても楽しく、ありがたい。
日曜の夜席で三遊亭白鳥師の「ナースコール」が流れた。
しめた、これで当ブログの記事に流入があるぞと思ったら、10件だけでした。
先日の小ゑん師「下町せんべい」よりずっと少ない。どちらも検索で1ページ目に出るのは一緒なのに。

それはそうと名作ナースコール、ギャグがまたパワーアップしていて驚いた。白鳥師は噺の成長のさせかたが実に巧みである。
師の場合、どんどんギャグが増えて収拾がつかなくなるということがない。それがすばらしい。
ギャグの増えすぎは、一之輔師にすらうっすら感じる、わかりやすい落とし穴。

さて、今日の主役は久々に林家正蔵師である。
土曜日の昼席。すっかり忘れていたのでリアルタイムでは視なかった。今日、仕事をしながらアーカイブを視聴したところ。

落語協会副会長の当代林家正蔵師、林家九蔵襲名問題このかた、あまり好感は持っていない。
あの件はさすがに横車が過ぎたと思う。
だが、師の落語自体は別に嫌いではない。いまだに師を「こぶ平の分際で」とそしるジジイたちとはその点が違う(といいつつ、性格から嫌いになる噺家もいるけど)。
この師匠の世間の評価もまた、落語ファンか否かを問わず、笑点の師匠たちに対するものとよく似ている。
そうすると、九蔵問題なんて言うのも、落語の下手なもんどうしが揉めてやがると、そういう感想なのでしょう。きっと。
だけど、笑点メンバーや正蔵師を悪く言う人たちは、だいたい小三治ファンか、立川流のファンな気がする。ワンパターン過ぎません?
正蔵師は、落語好きがちゃんと自分の耳と感性を信じているかを測る、リトマス試験紙みたいな人だと思う。
トリで出す噺にしては、やや小品だと思う。だが非常に聴きごたえがあった。

正蔵師、マクラでもって、夜の散歩の途中で遭遇した、目つきの悪い神田伯山先生に触れていた。
落語協会の人たちが、伯山についてマクラで語ることがないなと述べたとたんにこれだ。
菊之丞師が触れて、正蔵師が触れたら、もう結構な割合じゃないか。
まあ、喬太郎師や一之輔師が触れている様子は一切聴いたことがないけど。

「目から鼻に抜ける」奈良の大仏小噺を振って、本編は「蛸坊主」。
実に珍しい、上方由来のネタ。上方ネタでも、人情噺と言っていいと思う。
我ながらよく知っているものだ。知っている理由は、昔子供のために録画していた「えほん寄席」でこれが取り上げられていたからだ。
その際は露の新治師。
正蔵師は上方ネタが好きだという印象がある。だがこの噺に関しては、先代正蔵(彦六)が掛けていたのだそうで。
先代正蔵と当代正蔵は、名前を巡る因縁の関係。九蔵問題の遠因でもある。
そんな二人に共通している演目があるとは意外だ。

噺の舞台は江戸に移植されている。マクラで軽く振った不忍池。
春の花見、夏の蓮、秋の月見、冬の雪景色と四季折々の楽しみができる。池端の料理屋が舞台。

なぜか神田伯山の名前の付近だけ噛んでいた正蔵師なのだが、状況説明の地の語りがすばらしい。
師のことを馬鹿にしたりはしていない私だが、だからといって現状の師を名人扱いしているわけでもなかった。
だが、この語りは名人級だと思う。強い気迫を裏に感じる。

高野一山の坊主4人、実は偽坊主が料理屋にやってきて飲み食いしている。
最初に、生臭ものはならぬぞと断っておいて、しかし亭主がかつお出汁を取っていたことに因縁をつける。
修行の成果が無駄になったので、この家で養ってもらおうというのだ。
寺社奉行の管轄である上野の山でこんな強請をしても、町奉行所はやってきてくれない。

たまたま居合わせた老僧が仲裁に入ってくれる。
老僧は、けっして急がず、タメを十分とってゆっくりゆっくり喋る。かなりの気迫を見せる正蔵師。
「鯛の刺身を食ろうても、愚僧は豆腐と思う」と。そうすれば修行の妨げにはならない。
そして、なぜ生臭いものをまったく口にしたことがないのに鰹がわかったのかと問う。
東京落語には珍しいが、ここでハメモノまで入る。
どこまでもゆっくりした口調で、ついに偽坊主どもを一喝する。われの面体を知らずして、よくも高野山で修行できたと言えるなと。この生臭坊主、蛸坊主。

正体がバレ、ついに腕づくで老僧に襲い掛かる偽坊主ども。しかし老僧は、見かけに似合わず怪力無双。
池に逆さに放り込まれ、4人ひっくり返って8本足。まさに蛸坊主。

とにかく聴かせる一席だ。無観客でなかったとしても、客は息をのんで静まり返ったろう。
老僧の迫力が目立つが、だからといって偽坊主たちを、安易に腰抜けに描いたりはしない。
おふざけは、喧嘩を横目で楽しんでいる町人に任せる。
息をのむシーンが続く中でふっと混ざる、この様子もまた楽しい。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 正蔵さんの落語について,私が例外なのでしょうが声が割れて聞こえて長い時間聞くことができません.10年後はどうなっているでしょうか.

    1. 右朝さん、いらっしゃいませ。
      好き嫌いは感性の問題です。無理に好きにならなくていいのでは。
      理由があって嫌いなら、「こぶ平のくせに」と言っている人とは違うでしょう。
      ただ個人的には、10年後の正蔵師の評価は想像がつきます。

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