新宿末広亭の芸協(その3・桂文治「らくだ」)

道灌/らくだ

しばらく末広亭のネタが続きます。
寄席のこと書いてるのが、私にとってもいちばんご機嫌ですね。
昼トリの桂文治師を。
夜まではいられないのだが、夜トリは三遊亭圓馬師。この二人の組み合わせは、流れてしまったGWの池袋でもそう。

文治師は練馬付近でよく活動されている。
緊急事態宣言明けの5月31日、「桂文治プロデュース江古田らくご祭り」というものが東京かわら版に載っていた。
これに行きたかったが、さすがに中止だった。

この日は先代のマクラも振らず、早々本編に。
末広亭のトリは持ち時間どのぐらいあるんだっけ? いずれにせよマクラ振っている時間はないのだ。
大作の「らくだ」である。もちろん、時間的にくず屋の逆襲までである。

らくだ、当ブログではそれほど取り上げてはいない。
さらっと、「落語と暴力」と称して素材にした程度。

最近では正月に亀戸梅屋敷寄席で三遊亭好の助師の逸品を聴いたぐらい。
寄席以外では、一之輔師の録画を取り上げようかと思いつつ、まだ。

らくだはどうしても、噺にただようその暴力性が気になる。
私は暴力が苦手だ。みんなそうだって? 暴力を性欲のごとく好む人も世には多数いるわさ。
真に暴力的な落語なんてそんなにはないけども、暴力的な要素が漂ってくることはしばしばある。
それを許さないなんてことではないのだけど、ともかく「らくだといえば暴力」なのだ。まずは。
文治師から発せられるこの噺を、どう受け止めるか。

だが初めて聴く文治師のらくだ、非常にカラッとした味わいである。
なにしろ、他のらくだで散々聴かされる、らくだの暴力エピソードがほとんどないのである。
フグに当たって死んだらくだ、長屋町内で嫌われてるのは確かだが、いったいどれだけ悪いことをしたというのであろうか。不明のまま。
いちばんの悪事が、「店賃3年踏み倒し」「八百屋の商品万引き」なのではなかろうか。
そしてこの噺の被害者であるくず屋も、大してらくだにひどい目に遭わされてない。そもそもくず屋、長屋の連中がどれだけひどい目に遭ったのかも、実はほぼ知らない。
ちょっとびっくり。
もちろん、なにをしでかしても不思議でない野郎だという点だけは、濃厚に描かれているのだけど。

兄貴分(らくだより年は下なんだそうだ)の丁の目の半次は、怖いというより薄気味悪いキャラ。この造型もそうそうお目に掛からない。
いざとなればなにかしらしでかすことは間違いないが、その描写はない。
客に感じてもらう「怖さ」はしっかり描写されるのだが、落語だから本当には怖くない。客がビビッて噺にのめりこめなくなるような造型ではないのだ。
舌をチロチロ出して、ある種マンガチック。

文治師のWebコラム「噺の穴」を、改めて読ませていただいた。
この独特の造型の兄貴分、先代のアドバイスにより作り上げたものなんだそうだ。
なるほど、さすが先代文治だ。直接教えた噺ではなくても、弟子の芸を見て、効果的なアドバイスができるのである。
柳家さん喬師が喬太郎師の「ハワイの雪」について、もっと明るくやったほうがしんみりするとアドバイスしたというエピソードを思い出す。

くず屋が大家の家を二度往復したりするなど、当初の進行はゆっくりしている。なんだクズ屋のくせに、裏へまわれというセリフはないけど。
だが、かんかんのうから先は軽快だ。
菜漬けの樽を借りに(もらいに)行くあたりも、非常に軽快。
ちなみに、樽と一緒に天秤棒を巻き上げていたのでちょっと驚く。そうだ。天秤棒がないと、火屋に担いでいけない。

文治師は、協会の違う柳家権太楼師と懇意と聞くが、ちょっと権太楼師っぽさが混ざってくるのもまた楽しい。
くず屋のセリフ回しに感じるのである。自然と入ってくるんじゃないかと。

なかなか、見かけないタイプのらくだに、いたく感銘を受けた次第です。
この文治師のもの、若手が教わるのにいいんじゃないか。落語協会の人でも。
丁の目の半次の迫力を出せず悩んでいる若手もひとつ、チャレンジしてみたらどうでしょう。怖さより不気味さをアピールすればできるんじゃないか。

らくだに、ひどい目に遭わされ続けたくず屋が、酒の力で逆襲するくだりこそ肝、そう思う人もいるかもしれない。
だが、少なくとも「ひどい目」の部分は詳細でなくていいのだ。
恨みつらみがなくても、日常にふと飛び込んできた災難を描く噺は落語に多々ある。そのような、乾いた味わいもいいものだ。

続きます。

 

強情灸/らくだ

作成者: でっち定吉

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