末広亭の6月中席、10日の興行のうちこの日を選んだのは、松喬師が出演するのともうひとつ、柳家蝠丸師の初日だから。
蝠丸師、トリの文治師、先に出た小文治師ともども、先代文治の弟子である。
1年前に高座から落ちて骨折した蝠丸師、復活の暮れの高座では、あいびきを使って正座していたのだが、もう不要の様子。
ご自身のマクラではなく、楽屋の話を。
かつて楽屋に、伝説の二人が揃ったことがある。前座たちは非常に緊張したものだ。志ん生と、彦六(先代正蔵)。
落語協会の人たちだから、落語会の楽屋ということなのだろう。詳しい説明など野暮だからか、しない。
彦六とは、笑点で黄色い着物を着ている頭のおかしい人の師匠ですだって。
その楽屋で、彦六が(震え声で)志ん生に訊く。志ん生さん、地球以外に生物っていうのはいるんですかねと。
志ん生が(頭から出る声で)答えて、火星にはいるんじゃないか。かせい婦って言って。
そんな緩い緩いマクラから入った本編、さらに緩かった。
隠居のうちにやってくる男。アメリカに行ってきたんですよと。
知らないな、こんな噺。「弥次郎」の改作だということは明らかだけど。
ハワイに渡って、そこでシロクマと対決したり。
シロクマがいるわけないだろうと隠居にツッコまれると、いえ、シロクマじゃないんです、白い熊なんですと。
長い寄席の模様を、一切メモなく記憶だけで書き記している私(自慢になるのか?)であるが、でも、ものによる。
蝠丸師匠の噺については、本当に覚えられない。
地噺のギャグなど典型例だが、そうでなくても、脈絡がなさ過ぎて、メモリにしまえないのだ。
でも、記憶の残らないその噺が、やたら楽しいのだ。なんなのでしょうか、この魅力。
そして、このふざけた落語のムードも、また独自性の高いもの。
弥次郎と隠居だと、普通はボケとツッコミのはず。
でも、蝠丸師に掛かると、スベリ気味の自虐ボケと、そのフォローになるのだ。
なんだか会話も対立要素がなくて、渾然一体になっている。
楽しくて、いつまでもずっと聴いていられる。なんだかわからない、楽しい記憶だけが残る。
幕入りの手前は東京ボーイズ。
この楽しい師匠がたも、4年振りである。
子供の頃から好きな寄席芸人。当ブログでも記事を立てたものだ。
いつものように、オープニングで「さーよおーなーらー」と歌ってしまう導入から。
デューク・エイセスの「おさななじみ」(私はギリギリ間に合っている曲)を歌いながら、二人の初恋の思い出を披露しあう。
実は結構楽しみにしてきたのだが、ちゃんと起きていたのに、内容あまり覚えてない。
八郎先生が六郎先生のおでこをたびたび引っぱたいていた。「渡部か」というツッコミもあったような気がするが、いったいどこで多目的トイレにつながったっけか?
でも、いいですね。寄席の緩さを表す見事な芸だ。
若々しいおふたりだが、なんと御年78と76だ。
仲入りは、本来笑福亭鶴光師だが、代演で歌春師。
番組は確認してから来ている。歌春師なら問題なし。
もともと毛量の多い師匠だが、白い頭がぼうぼうになっている。床屋は開いてると思うけど?
やはり寄席は、そして楽屋はいいですねと。前座さんがお茶出しから着替えから、全部世話をしてくれる。
一席終わったら今度は着物を畳んでくれて、最後に履物を出してくれる。アタシがうちでやることを全部やってくれると。
この師匠は、娘さんのバーターでもあるまいが浅草お茶の間寄席にヘビロテで出ているので、高座で出くわす回数以上にマクラの小噺は知り尽くしてしまっている。
だからといって聴き飽きることなどないのが、話芸というもの。
そろそろ、師匠・歌丸の三回忌ですと。7月2日がご命日で、丸2年が経過する。
その師匠に教わった、鍋草履。これを軽く。
実に手短な小品。
仲入り後のクイツキは、二ツ目交互枠。ここに出る二ツ目さんは、つまり抜擢。
この日はトリの文治師の弟子、桂鷹治さん。交互出演は春風亭柳若さん。
鷹治さんは初めてだ。
本編は時そば。こんな暑い季節に聴きたい噺でもないけどな。
でも芸協ではわりと一年中出る印象。
文治師も時そばを十八番にしているが、鷹治さんは自分でいろいろ工夫していて、楽しい一席。
珍しいことに、江戸時代の1日の時間について、入念に解説してから本編に入っていた。
時そばは、事前の知識がなくても楽しめる噺だが、「四つ」の後の時間帯が「九つ」になってしまうことは、知らないよりも知っていたほうが確かにいい。