仲入り休憩明けはトリの一席。ネタ出し、ネタおろしの「汲みたて」。
鳳志師は黒紋付に着替えている。
この会は毎回毎回ネタおろしなので大変なんですと。またそれだけ覚えなきゃならないし。
先代の文治師匠は、40過ぎたらネタおろしをしなかったそうです。年取ってからやると本当に疲れるからだそうで。
そんな鳳志師は44歳。
圓生全集を潰していくということは、人に稽古をつけてもらうわけではないのだろうか。鳳志師も圓生の直系だし、別に問題ないとは思うが。
さて「汲みたて」を掛ける人というと、三遊亭小遊三、五街道雲助の両師匠。
当ブログでは両方記事にしている。
その他聴いたことがあるのが、古今亭志ん弥師(CD)、三遊亭金八師。
鳳志師は、「肥船」についての説明から始める。
近在から野菜を江戸に運んだ帰り、肥を積んで帰るのだと。
それから、稽古屋の女師匠について。
仕事のはかどらない夏に湧いて出て、涼しくなると仕事に戻っていなくなる蚊弟子の話。
ここまで振っておけば準備OK。
私の好きな、こたつで師匠の手を握るマクラは入れない。
人から教わらない代わりに、展開についてはかなり手を入れる意図があるようである。
師匠を狙う弟子たちの会話から。師匠を独占しようと狙って、早い時間と遅い時間にそれぞれ通っていたので、久しぶりに会ったふたり。
師匠に手を取って教えてもらえるので得なんだと三味線を教わる弟子は、基本の基本「一つとや」がいつまで経っても上がらない。
この弟子が、いちいち状況説明のために「一つとや」を繰り返して「それはいい」と止められるのが、地味に面白いオリジナルクスグリ。
「ご開帳をタダで見ようとして罰が当たった」という会話のオチで、なぜか客席から拍手が上がる。これはさすがによくわからないぞ。
浮ついた男の、実につまらないレベルの、しかし共感できる幸せがしみじみ浮かび上がってきたのは確かだ。
両国寄席にも出る落語協会の初音家左橋師が、なまじ踊りが下手なだけ、橘之助師匠に手を取って教えてもらえると喜んで語っていたのも思い出す。
師匠と建具屋の半公とがデキていることを知る、3人目の弟子が登場。
ここで鳳志師、さらに一段声を張って3人目を描き分ける。
いい声だ。これはしびれるね。
もちろん、邪道とされる「声色」のような声の出し方じゃない。
鳳志師の艶っぽい語り口から、この楽しい噺の肝がすべて現れる。
色気に満ちたこの噺、語れる人が一体どのぐらいいるだろうか。
女師匠を取られて悔しい弟子のバカさ加減までは描けたとして、噺に漂う色気まで描けなかったらつまらない。
色気がどこから湧いて出るかというと、人間の欲望を包み隠さないところだろうか。
嫉妬に狂った醜い男と見るのではなく、かわいいおバカ連中だなと思えれば大成功。そして鳳志師の男どもの描き方はとても優しく、かわいく映る。
すでに世界を構築しきったこの先は、意外なぐらいどこにもつっかからず、トントンと進む。
半公が食ってる甘納豆にもそれほど執着するわけでもなく。味の感想は入らない。
与太郎が登場するが、与太郎は本当に端役でありスパイス。この描き方も面白い。
実は主体性に満ちた悪い与太郎とか、そういう描き方は鳳志師のツボではないらしい。
ただし、船でやってきた若い衆たちに「うぞうむぞう」と呼ぶシーンはちゃんとある。
全編にわたって工夫がされており、すでにどこにもない汲みたての世界が描かれている。
鳴り物はないので、ピーピードンドンと口で入れるやり方。最後は木魚でポクポクと締めるのも、鳳志師のひそかなアクセント。
サゲは通常、「汲みたてだが一杯どうだね」という実に脱力感溢れるものだが、鳳志師、これに飽き足らず改良を加えていた。
サゲ間際の噺の展開をフリにして、新たなサゲを作る。見事な創作力。
すばらしい二席だった。来てよかった。
ここでのネタおろしが、今度は両国や亀戸で披露されるのだろう。それを聴いた二ツ目さんが教わろうとしたりする。
また寄せていただきます。
25日昼の上野広小路亭「鳳の会」では、鳳志師はネタ出し「鰍沢」だそうで。