マクラの全文掲載を考える

いつものように落語のニュースを探していると、こんな記事が見つかる。

「まくら」の全文掲載は是が非か 落語を取材して思うこと(スポーツ報知)

いずれ消えるかもしれないので手短にまとめておくと、字数制限のないWeb媒体に、噺家のマクラをすべて載せることの是非を考察したもの。
難しい問題であり、もとより正解が書かれているわけではないが、「全文」はNGだと筆者はいう。
もっとも、だからといって一部引用は切り取り方が失礼になることもあり、非常に難しいと。

私も結構、マクラや披露目の口上書いてるもので、考えさせられた次第。
というか、この記事読んで当ブログのことを思い起こした人だっているかもしれない。
報知の記者はもっぱらマスコミ媒体の記事について書いているのだが、個人のブログのことも念頭にあるに違いない。
今日はこれについて。

この手の問題、たまに湧いてくる。
「全文掲載」についてはマスコミだけの話であり、私にはあり得ないが。
禁止行為である録音をせずに、全文掲載なんて不可能なんだから。
全文掲載しているマスコミは、それが許されているわけだ。無断でとりあえず録ってることもありそうだけど。

私は、すべて記憶に基づき書いている。演者が迷惑に思いがちな、メモも取らない。
記憶とは、その場で発せられた文言とイコールではない。演者が語ったと、私が理解し脳内にしまい込んだ情報である。
だからズレていることがある点は大前提。正確性や、出たネタの順序もさして気にしていない。

いずれにせよ私はなんのために噺家のマクラを書いているか。
これはでっち定吉としての表現活動の一端である。現在ではそう自覚している。
いい悪い、上手い下手、そしてブログ収益の有無といった問題の前に、表現活動と自認している。
議事録の書記をやっているつもりはないし、世間に情報として広く知らしめようという気もない。
あくまでも、私がマクラをどう解釈したかを書いているのだ。評論、エッセイ、雑文など、どのジャンルに当てはまろうが一緒。

報知の記事中に小三治のマクラの話が出てくる。
小三治マクラを本にした場合、書き起こした人にとっては、表現活動ではない。
これは編集という。
勝手な編集を当ブログでやる気は一切ない。

マクラが噺家の創作活動であり、著作物であることに無頓着ではない。
だから見事なオチがついているマクラについては、オチはまず書かない。それは確かに営業妨害だと思う。

いや、正確に言おう。営業妨害だなんて思うことは、実はない。
私が書いたものを読み、「もうこの人のマクラは聴く必要ないから行くのやめよう」なんて読者は、どこにも存在しない。
「マクラを詳細に書き起こして極めて不愉快な記事だ」と判断されかねないレベルの手前で抑えようと思っている。
私の中では配慮が内在されているのである。
配慮でもあるが、さらに重要な判断基準は「野暮」かどうか。野暮だなと自分で思うことは書かない。
もっとも当ブログ自体、丸ごと野暮だと思う人もいるだろう。
アクセス数が日々伸びているのは、野暮だと思わない人が多いからだとは思っているが。

マクラを書く他にありがちな心理として、読み手に対する「優越感」というものもある。
自分はこんな体験をしてきた、すごいだろうという。
これがむき出しになると、野暮の極みである。

マクラを書くことの本質的な問題は営業妨害ではなく、ひと様の財産を、どこまで自分自身のために使っていいかである。
では、高座で語られたことは一切書いてはいけないか? じゃあ、一体何を書く?
それとも聴きにいったファンは、マクラの引用について演者に対価を支払うべきか?

内容を覚えているが、書いて面白さが伝わらないものも出さない。
表現活動としては無意味だからだ。
書かないと忘れてしまうので、この場合、私の記憶から失われることを覚悟する。

かつて春風亭一之輔師がツイッターで、苦言を呈していた。
当ブログが苦言の矛先に入っていたかどうかは微妙。
いずれにせよ怒りが激しすぎ論理破綻していたので、当ブログではそれを指摘した。

怒りの一之輔(上)

こちらに書いた私の見解は、今でも変わっていない。
誰かプロに論理的に指摘されたら、今のスタイル止めてしまう覚悟はいつも持ってますよ。
非論理的な指摘だったら、逆襲するかもしれないが。
現在の当ブログは、この時期のたぶん5倍ぐらいアクセスがある。改めてプロの誰かに苦言を呈される可能性はある。

非論理的な指摘に対する逆襲の例。
個人的に苦情をねじこまれたわけではないが、先んじた逆襲だ。

演目掲載は営業妨害?

ブログに演題乗せるなという、誰だか不明の噺家。
論理力のかけらもない苦情を楽屋でぶつくさ言ってるのは、愚か。それに一部共感する林家なな子さんもあまりタチがよくない。
ブロガーもまた、表現活動をしているのだということがわかっていない。その点においてだけは、あなたたちと一緒なのだ。
そりゃまあ、表現活動にデキの良し悪し、礼儀の程度はある。ただそれ以前の問題として一律に根拠不足の文句を吐いている人など、もはや表現者を名乗る資格すらない。

表現の自由に関しては、笑福亭たま師にも苦言を発した。
たま師の苦情は私を指したものでは明らかにないのだが、苦情の先には、意図しているいないに関わらず当ブログのような存在が必然的にある。
これはネタバレの有無ではなく、批判することの是非の話。

笑福亭たまのブログ批判を批判する

このシーンにおいてはたま師のことを、怒りをもって批判した。
その後の上方落語のための活動、そしてそれによる繫昌亭大賞受賞については敬服しているけど。

まあいろいろ述べてきましたが、私は今後も当ブログを同じスタイルで書いていきますよ。
「でっち定吉は噺家の営業妨害をしている」と思った人(プロアマ問わず)は、本当にそうなのか、じっくり考えてから判断してください。
本当にそう思った方の苦情は受け付けます。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. もはや一本の落語化している喬太郎師のコロッケそば、どこまでをマクラとして掲載可能だろう?
    等とくだらない事を考えつつ、演目掲載は営業妨害ってのはどうなんでしょう?
    昨日、誰々が何々の噺をしたとうのが判ると不都合があるんだろうか?
    同じ噺は翌日やり辛いとか?よくわかりませんが。

    1. 「演目掲載は営業妨害」は本当に意味がわかりません。
      「マクラを書かれた」ということで生じる、噺家さんのネガティブな心理まではかろうじて想像できるのです。
      でも、なにをやったか書かれただけで文句言うような人は、まずダメですね。

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