上中まで終えていたシリーズ、最終回です。
意外と反応がよかったです。
洒落小町
林家あんこさんから聴いた。
柳家小ゑん師が「前座がネタ帳の漢字を書き間違える」例として取り上げていたから(「洒」の字を「酒」と書いてしまう)、昔からある噺なのだと思うが、私が聴いたのはその1回だけ。
最近よく聴くようになった「洒落番頭」(庭蟹)と同じく、シャレがテーマ。
亭主になにか言われたら、即興に全部シャレで返す女房の噺。
桂米朝は速記本の解説に、「落語には珍しいアホの女房の噺」と書いていた。その点、「半分垢」と親和性がある。
もっともシャレはアホでは作れないけど。
洒落番頭が流行っている背景には、なぞかけブームがあると思うのだ。なぞかけより簡単なのがシャレ。
洒落小町、今こそ覚えるべき噺だと思いますよ。気の利いた二ツ目さんはすでに仕入れているんじゃないか。
虱茶屋
「虱」という字も前座さんが間違えそうだな。しらみですね。
雷門小助六師から聴いた。
初めて聴いたようなつもりでいたのだが、実際には浅草お茶の間寄席で柳亭こみち師が掛けていた。
若旦那のいたずらで、虱を袂に入れられてしまう芸者や幇間の一八。
虱を潰しながら、ちゃんと踊って見せる粋な一八が見もの。
ビジュアル落語である点は、四人癖と一緒。
ただ虱茶屋は踊りの素養がないとできないわけで、大変高度な噺である。
身投げ屋
先日、五街道雲助師から聴けた。
大川に飛び込むフリだけして、止めてくれた人に泣きついていくらか恵んでもらう商売。
柳家金語楼作だというが、実に見事に古典落語として成立している。明治設定のバカ落語。
円楽党の三遊亭朝橘師からも聴いた。この人も珍品派なので、最初からそのつもりで仕入れているのだろう。
両国橋が舞台の噺を、両国寄席で聴くのは楽しいものだった。
鼻ほしい
梅毒で鼻が欠けてしまった人が主人公の落語。
昔はこんな人たくさんいたのだろうが、現代だとまず障害者差別の懸念がある。
なにせ鼻から息が漏るから、フガフガ言っててよくわからないので、馬子にからかわれるお侍。
似た系統に「おかふい」というのもある。
ご参考まで:桂平治の噺の穴「おかふい」
今の文治師のコラムだが、なにしろ20年前のものなので「放送に出せない噺がたくさんある」ことが書いてある。
しかし令和の時代は、「心眼」「唖の釣り」「ふぐ鍋」なんでも流れてしまう。
「代書屋」の朝鮮人のくだりまでラジオで流れて、心底びっくりしたものだ。
なら「鼻ほしい」も流れる? どうかな。気持ち悪そうだからな。
ちなみに鼻ほしいを誰から聴いたかというと、なんと春風亭百栄師。
百栄師は古典落語が好きな人なのだ。師の「疝気の虫」は録画を2本持ってるが、なかなかのもの。
蚊いくさ
三遊亭好の助師と、入船亭遊京さんから聴いた。
どちらの人にも珍品派のイメージはないけれど。
季節ものである。
蚊帳がないと、蚊の攻撃から身を守れない時代の落語。
剣術に凝った亭主が、仕事をしないので蚊帳を吊れない。なので蚊と決戦に挑む。
よくできた噺である。また夏に聴けるかもしれない。
大師の杵
弘法大師伝説を題材にした地噺。
兼好師の二番弟子、好二郎さんが二ツ目の披露目で出していた。
以前、林家なな子さんから聴いたものとそっくりだったので、林家から教わったらしい。
ご本人もマクラで林家から噺を教わることがあると語っていた。
王楽師(好楽師の息子であり、一門)も、根岸に結構出入りしていて、笑点特大号でもその様子は映し出されていた。
世間ではいまだに「好楽vs.正蔵」は不倶戴天の敵と思ってるかもしれないが、それは単純すぎる見方。
ちなみに今やってる浅草演芸ホール中席で、17日から「好楽・正蔵」という並びの出番があります。18日~20日は正蔵師でなく木久扇師の可能性もあり。
話がそれた。
大師の杵は、地噺だけに地味な噺だが、「女人を近づけない弘法大師の恋愛」を描いている点がちょっと面白い。
別に弘法大師が女に惚れたわけではないが、それに近い演出も可能だ。
奥山の首
最後に、珍品の大家、柳家蝠丸師から聴けた珍品をまとめて。
奥山の首は、左甚五郎もの。
甚五郎ものといえば、「竹の水仙」「三井の大黒」「ねずみ」であるが、他にもあるのだ。
やはり珍品の「叩き蟹」とか。それでも、「奥山の首」ほどではなかろう。
奥山の首は、蝠丸師以外にやり手はいないんじゃないか。
三井の大黒のパラレルワールド的作品であって、江戸の大工に厄介になるまでは共通している。
彫るものが、大黒さまでなく、グロいことに人間の生首。
誰にでもできる噺ではないが、蝠丸師には語れてしまうのだった。
死ぬなら今
年末に浅草で聴いた。
「死ぬなら今」自体は無名というほどの噺でもない。先代(四代目)三木助がよくやっていたことを覚えている人も多かろう。
でも、事実聴いていない。令和においては珍品の類か。
蝠丸師が掛けるとなんでも珍品に見えてくる。
瀧川鯉昇師もやるけども。
蝠丸師の「死ぬなら今」は、地獄巡り(地獄八景)のエッセンスも取り入れて、実に楽しい地獄の旅であった。
死期の近づいた人に聴かせるならこの噺だ。そうかな。
法事の茶
「ほうじの茶」とも書く。「法事」と「焙じ」のWミーニングなので、ひらがなのほうがいいかもしれない。
現場で聴いたことはないのだが、「ほうじの茶」自体はTVで二度聴いた。
昨年亡くなった円楽師と、古今亭菊之丞師。
どちらも、昔の噺家のモノマネがしたくて出していた演目である。
茶を焙じるたびに、昔の噺家が袖から出てきて軽く一席やるという。出囃子も掛けて。
だが、本当はそんな噺ではないのだ。
蝠丸師から正統派を聴くとはびっくり。といっても、やはりこの師匠の味。
落語研究会で出ていた。また再放送されるんじゃないですか。
研究会のマクラで、呼ばれるのは二ツ目以来だと語る蝠丸師。二ツ目は放送はない。
この後、日本の話芸に二度目の出演もし、蝠丸師絶賛ブレイク中。
まだ「現場で出会った珍品」があるような気がするが、このぐらいに。
いずれまた出します。
虱茶屋は八代目助六師のビデオ持ってますが、それによると先代が大阪から持って来たネタと言ってました。
大師の杵は、先代円楽師がよく掛けてましたが、小朝師でも聞いた記憶があります。
そして法事の茶は、大昔楽太郎時代の円楽師が掛けたのを聞きました。当時ブームのエリマキトカゲが出てきました。
やっぱり珍品は楽しいですね。
小朝師はそういえばひととおり地噺やるイメージですね。
珍品が出ると、楽屋で前座さんがネタ帳つけられなくて困るそうですね。
お囃子さんに訊くとわりとわかるとか。