亀戸梅屋敷寄席33(下・三遊亭好の助「千人坊主」)

仲入り後は萬橘師から。
マクラから爆笑させてたが、何の話だったか思い出せない。
「お父さんいる?」「いらない」からだったが。

本編の出来心も大爆笑なんだけども、サゲを変えてる以外は別にすごい演出じゃないんだけど。
そして、演者も客を直接的に笑わせようとしていない(そう見えないが)。ただ、テンションは終始高いので、なにを言ってもおかしい。
泥棒の失敗談を語る新米が、本当に楽しそうなのが秘訣だろうか? 叱られてるのに楽しんでる状況がすでにおかしいのだ。
真心に立ち返って悪事に励めと言うのは親分のほう。
最近の落語が「ボケっぱなし」の潮流にあることがピンとくるやり取りで、実に好き。
最後べえさんは、同じ業界の人だった。こんな劇的な工夫もごくひっそり入れてくる。

あまり書くことないのだが、今日の盛り上がりのピークであった。

トリは好の助師。
萬橘のほうがトリでよかったんじゃないでしょうかね。あたしもそのほうがよかったです、楽ですし。

なんでこういうこと言うのかね。負け犬自虐ギャグ。
トリの前にひとりお客さんが帰ったからであろうか。
円楽党が元気がいいのは、兼好萬橘王楽の次、朝橘とか好の助とか、このあたりに勢いがあるからこそと思うのだけどな。
好の助師だって末広亭に出てるわけで。
私だって、別に「萬橘、王楽が出るならすごいな。トリは好の助か、まあ仕方ないな」と思ってきたわけでもなんでもなく、ちゃんと期待してるのに。

前座・かっ好時代の話。
師匠について落語会に行くと、ナポレオンズのボナ植木先生が師匠に、「かっ好がいつもお世話になってます」。
横で見ていた、仮名竜楽師が、お前ナポレオンズさんとどんな関係なんだと。親なんです。そんな話は早くしろ。
それから、「仮名竜楽」師から、ナポレオンズを安く会で使いたいという要望がやたら来るようになった。
全部断っていたら、来なくなった。

なんだか、笑いもさほどないし、「仮名竜楽」師のストレートな悪口に過ぎない。
この日、王楽師の洗練された三平いじりを目の当たりにしただけに、なんだかなと思う。

小春志になったこはるさんの「昭和57年会」のマクラでもって、好の助師が巡業に向かったあちこちで言っちゃいけない一言を発し、トラブルになる様子を聴いた。
ネタは別に、好の助師を非難していたわけではないのだが、まあこういうところなんでしょう。
好楽一門というのは人の好さがウリなのだから、そういう点では異端児。

王楽も萬橘もいいですが、それ以外にも来てください。
私の一押しは栄楽師匠なんですけど。

栄楽師、二度ほど聴いて、別に悪い印象は持ってないけども。でもな。

本編は甚五郎ものだ。
だが、ねずみ、三井の大黒、竹の水仙のいずれでもないことは冒頭から明らか。
甚五郎の庇護者である大久保彦左衛門から噺が始まる。
こんな噺あるのかと思ったら、浪曲ネタの「千人坊主」だそうで。好の助師が浪曲から来た上方落語を教わったそうだ。
上方落語に百人坊主があるが、これとは無関係。

意見番を務める大久保は、石高は低いが権勢は大きい。それを気に食わない大名もいる。
甚五郎はなんでも彫るぞと大久保。彫れないものはないと威張っている。
それを気に入らない大名が(誰だっけ、You Tubeで聴ける京山幸枝若の浪曲では島津殿なのだけど、違った気がする)、大久保に勝負を挑む。
もし甚五郎が彫れなければ、意見番を降りてもらうぞと。 ここまで約束させたうえで、「五寸四角の中に坊主千人が彫れるか」と。
いくら天才甚五郎といえども15×15cmに坊主千人は無理だろう。諮ったな。
それでも甚五郎に訊いてみる。
彫って彫れないことはないのだが、実は千人坊主だけは彫るなと師匠に難く戒められているのだ。
それでもなんとか始めるのだが、999人までは彫れたが最後の1人がどうしても思い出せない。実はこれを理由に師匠も戒めていたのだ。

珍しい噺で面白いのだが、なんだか覚えているストーリーもふわっとしている。前述のYou Tubeを聴く前の段階で。
千人坊主を彫るのは大変な作業だと思っていたら、「最後の千人目が思い出せない」という別の設定が出てくる。
いささか唐突じゃないかと思った。浪曲なら歌だから、そんな不自然さは誰も気にしないけども。
天才甚五郎だから技術的には可能だが、別の要素により彫れないという理由付けが、ちゃんと最初に出ていないと戸惑う。
比べたら好の助師に気の毒なのだが、当ブログでも取り上げた喬太郎師の「偽甚五郎」は完全に落語の世界に生まれ変わってすばらしいなと。こちらは釈ネタ。

好の助師、頭を下げ、時計を見上げて苦笑い。ちょっと時間が10分ぐらい余ってしまったということ。
これについては、この日の満員の客は別に不満には思わなかったように思うが。亀戸、これくらい早く終わることはざらにあるし。
私もこの11月30日現在は満足感に溢れて梅屋敷を後にした。

なにかしら引っ掛かった高座というものは、ちょっと時間が経ってから不満が出てくるものだ。今日の記事が、聴いて3日目。このぐらいが危ない。
好の助師も悪口は洗練してもらわないと。そして自虐もだ。
撮影会ばかりしているA太郎への不満も、別にその日のうちに出てきたわけじゃないのだ。ほんのちょっとの引っ掛かり(電源を落としているから撮影なんてできない、当たり前の客に対する悪態)が、気づいたときにはとめどなく拡大していて、もう聴きたくねえやということになる。
好の助師、真打昇進時の不幸なんてものは、今思うと応援したくなる燃料であった。師は実は、非常にラッキーな真打デビューに成功していたのだ。
だが、そんなパワーももう賞味期限切れだ。
なんだかちょっとだけこの人と距離ができた気がする。
コロナ初期の頃、中止になった国立の会を亀戸でやる師の男気には惚れたものだが。
この距離が拡大していかないよう願う。

(追記)「百人坊主とは違う」と書いていながら、タイトルが百人坊主でした。お詫びして訂正します。

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作成者: でっち定吉

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