あかね噺8巻はややダレ場、つついてもあまり出ない

ebooksjapanで集英社の本が半額だったので、あかね噺の8〜12巻をまとめて買った。
これでブログのネタには困らない。

6巻あたりで現実を凌駕してきたこのマンガ、その後7巻・8巻とややダレ場ですな。
劇中では、盛り上がるべき大会が続いているのだけども。

当ブログでも「師弟関係」を考える一環として取り上げたが、最近ゴルフマンガ「オーイ!とんぼ」にハマった。
2時間置きに無料で読めるもので、時計を見ながら2時間の区切りを楽しみにしている毎日。
どんな楽しいマンガを読んでも、こんなこと今までなかった。
「オーイ!とんぼ」、非常にあかね噺に似てるところがあるのだけども。
落語がゴルフに置き換わり、そしてゴルフにはその人の育った環境と教育、哲学、心構えすべてが現れる。
相手と直接戦っているようで、戦う対象は自分自身。
そして主人公は魅力いっぱいの女の子。
魅力に溢れた様子は、周りの登場人物の感想を使って描かれる。そして、作者もまた主人公が好きで好きで、この娘の魅力を最大限発揮してやろうとしていることまで伝わってくる。そのためには脇役も重要。
似ている両作だが、ここのところ私の中ではとんぼがあかねにかなり打ち勝っている。比べるもんじゃないことぐらいわかってるけど。

あかねは、不本意に噺家でなくなった父親に囚われ過ぎなわけである。
親父を払拭したうえで、その先なんになりたいかというのが欠けてるわけだ。まあ、多くの前座なんて目標以前の毎日だろうけども。
この巻あたりから、囚われの払拭も含めてテーマになっているから、単にテーマを悪く言うのははばかられるが。

決勝に進出した前座4人が闘う前座錬成会。あかねはもはや追われる立場である。
阿良川ひかるも、露骨にあかねに宣戦布告する。
なぜかテレビ中継まである。
現実社会では、NHK新人落語大賞が昨年からようやく生放送になった程度。前座の会の中継なんて。

噺家が対決にあたり、なにを考えて高座に上がるか、これはスポーツマンガ、格闘マンガの本寸法。
そして、演者がよかれと思ったクスグリも、審査員に響くかどうかはわからない。
落語の知識が乏しい読者にとっては、この一連のくだり、とても刺激になったろう。
ただ、すでに世間にある「落語とはなにをもってよしとするか(されているか)」という枠組みからはみ出ていなすぎて、ちょっと物足りないのだ。

今日の残りは、細かいツッコミ。

おじさん前座嘉一の金明竹、言立ては私が覚えたものともおおむね同じ。語尾をどう文字に起こすか程度の差。

金明竹の言立てを覚えた

ちなみに、この記事も最近やたらアクセス多いのだが、あかね噺からかもしれませんな。きっとそうでしょう。

だが、「祐乗 宗乗 光乗」にびっくり。
こんな順番、私は聴いたことがない。本当にある、これ?
私が過去に聴いたものはすべて「祐乗 光乗 宗乗」の順序である。
活躍時期を調べると、後藤宗乗は祐乗の息子であり、光乗はもう少し時代が後になる。そうすると「祐乗 宗乗 光乗」でもいい気もする。
でも、「祐乗 光乗 宗乗」でないと、「遊女が孝女で掃除が好き」って間違えられないじゃないか。
あと、地の文で「バケツ」と書かれているのに絵が桶ですな。

主人公を「松公」でやるのが柳家だが、最近柳家以外にも松公でやる金明竹が増えてきた気がする。
松公も結局与太郎なんで、別にいいんですが。

ちなみに与太郎の掃除から始まるフルVer.金明竹はなかなか時間を要するが、でも15分あればできるだろう。
その前の強情灸は、せいぜい12分ぐらいか。
いっぽう嘉一の後で出てくるひかるの「花見の仇討」は立派なトリネタで、25分は必要だろう。
そしてトリのあかねの「替り目」は、うどん屋のくだりまで行くとそこそこ時間を食うが、それでも15分てとこじゃないか。

大会っていうものは、普通時間が決まってるもんなんだが。
ちなみに二ツ目の大会の最高峰、NHK新人落語大賞は12分。だから大きなネタはみんな工夫して切り詰めるのだけど。

声優であるひかるが、武器を活かすため「声色の使い分け」を解禁している。
昔こういうやり方で人気の噺家がいた、とひとシーン出てくる禿頭の師匠は、三代目三遊亭金馬である。
この人の音源は今でも多いが、女の声を作って出したりしていて、現代視点からはやや戸惑う。
「声の使い分け」というテーマは、当ブログではかねてよりよく取り上げてきた。
いろんなところに散乱しているのだが、手短にまとめると、こう。

  • 新作落語の場合、登場人物が増えた場合は「個性」で描き分ける(桂小春團治)
  • かみさんのほうが亭主より低い声を出したって描き分けられる(三遊亭遊雀)
  • 露骨に声色の使い分けで賞を獲ったのは桂三度ぐらい(でっち定吉)
  • みんなが同じ声を出しているがゆえに、あえて誰が喋っているかわからなくする高度なテク(柳家喬太郎)
  • 声の使い分けは、ギャグである場合は問題なし(でっち定吉)

声の使い分けのいい悪いはさておき、落語の場合、そもそも「誰が喋ってるかわからない」ほど、登場人物多くない(多くしないで済むように作っている)のだけどね。
花見の仇討ちも、町人4人の描き分けぐらいで、そんなにわかりにくいとは思わない。

9巻は盛り上がってくるでしょうか? まだ読んでないのでわかりません。

作成者: でっち定吉

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