圓太郎師はよくコンプライアンスについて語る。
古典落語の世界は、町人はいつもさむらいを恐れ、奉公先では生殺与奪を握られ、女は廓に売られる世界。
いや、圓太郎師がそう語ってたわけじゃないが、ともかく昔の設定に喜ぶ人ばかりではないのだ。
気の利いた人は、いつも「どうやって現代人に飲み込ませるか」を考えている。
1席めの親子酒でも、圓太郎師はわかりやすく「女は男についてくればいいの!」と親父に言わせておいて、その後謝罪する。
逆に言うなら、師は免罪符を仕込んでいるので、なんでもできるのだ。
黄金餅みたいな死体損壊の噺だってできる。
師がお茶の水女子大で仕事をした際のこと。
みんなで食事をすることになった。女子大生が箸と箸置きを配ってくれるが、あいにく逆さである。
右利きの人が使いやすいように置かれていない。
これは一言言ってあげたほうがいいだろうと。「こう並べたほうが、お嫁さんになったときに喜ばれますよ」。
そうしたら教員が怒った。「結婚する前提で語らないでください!」。
師は別に、これについてなんら釈明することはない。ああ、今はそういう時代なんだと感じるだけだ。
昔だったら、仕事(奉公)について贅沢を言えたものではない。
長く勤めてわかることもある。長く勤めた奉公人が引退する際、じゃ、孫がそろそろいい歳だから代わって奉公に入ってくれなんてこともある。
そのほうが気心知れてるから安心。
そんな職場は、求人が出ない。
もう少しいろいろ振ってたかもしれないが。
「清正公さまのそばに立派なお屋敷がありまして」と、芝落語会に配慮して住所だけ変えた化け物使いへ。
化け物使いも、パワハラ度の非常に高い噺。
もちろん、一つ目小僧をこき使おうという旦那がバカバカしく面白いのであり、作り変えることはできない。
こういう噺の価値を、聴き手の態度に求める人も多い。江戸時代の噺にパワハラを感じちゃいけないよと。
私は全然そう思わない。古典落語が語っているのは常に現代だからだ。
現代を語るのに、パワハラ問題を避けて通れると思ってるほうがおめでたい。
こういう議論の際に、私が切り札に使うとっておきの噺がある。
「お釜さま」である。藪入りの原型。
昔面白かったものが必ず今でも面白いと思えるなら、お釜さまも現代に残っていないといけない。
昔の客は、奉公先で番頭に掘られ、口止め料をもらっている少年の噺で笑えたのだ。
でもお釜さまを、資料以外の目的でもって復刻しようなんて人はいない。お釜さまは、真に滅びたのだ。
ちょっと話が固くなりました。
今回感じたのはこういうこと。圓太郎師は、パワハラの噺をストレートで笑えるように、入念にトゲを抜いた。
トゲというか、魚の骨。骨を抜くのは、そのまま味わい、すんなり飲み込めるようにするため。
そのまま味わって飲み込んだら、化け物使いは実にうまい魚なのだ。
この噺を聴くのは4回目だが、私が変わったのか? 噺が進化したのか? その両方か。
圓太郎師の化け物使いは、パワハラを楽しむ噺になっていた。
圓太郎師としては、それこそ楽しい噺なんだから、活かさないと意味がないということなんだろう。だからコンプラの噺と、劇中の杢助のアドバイスでもって、骨を外した。
私には非常に楽しかった。まあ、それでもなおパワハラの噺と聴いてしまう人もいるだろうし、それはもう仕方ないのでは。
圓太郎師の化け物使いは、化け物が一つ目しか出てこないという特徴がある。
のっぺらぼうや大入道はいないのである。喬太郎師の番組に出た際、席亭のリクエストで掛けたところ、「一人しか出ないんだね」と言われた話をされていた。
3つぐらい出たほうがいいかもしれないが、でも一つ目ひとりでも本当に面白い。
このタイプ、他に聴いたことないのだけど。
杢助は、遅い時間、ご隠居のところに行ってくれる奉公人がいなくて頭を抱えていた口入れ屋に飛び込んでくる。
だから「やめといたほうがいい」と忠告する仲間はいない。口入れ屋の主人も、「厳しいよ」と断っているので騙してはいない。
それでもなお、じき戻ってくるだろうと思っていたら、妙に馬が合ったという。
豆腐屋に3回行かされるくだりは、暇をもらうことを決意した杢助の、回想として描かれる。これも珍しい。
杢助は真理を語る。旦那さまは人に使われたことがねえから、使われるもんの気持ちがわからねえだと。
使われるもんに気遣いせねば、もう奉公人は来ねえだよ。江戸ではなんちゅうか知らねえが、おらの村ではこれを「ほすぴたりてぃ」っちゅうだ。
杢助の忠告を聞き入れた旦那は、たぶん本当に反省したのだ。
でもこういう人の反省は底が浅い。
恐らく旦那は、「もう奉公人は来ねえだよ」こっちのほうに真実を見出した。
だから、出てきた化け物をしめたとばかりこき使うことになるらしい。
人情噺的な展開が裏切られるのも、また楽しい。
一つ目小僧に徹底的に用を言いつける旦那。これが、指摘一つ一つは別に間違っていない。
拭き掃除、台所の片付け、布団の出し方敷き方、すべてその通り。
豆腐屋に三たび行かせるような、間違った内容ではないのだ。もしかすると、すでに反省を実践しているのかもしれない。
あまりのつらさに泣き出す一つ目。でも大きな目から両側に水が垂れているので、鼻水にしか見えない。
それでも優しいところも一応あって、一つ目のためにかきもちを焼いてやる。まあ、だいたい間違ってるのだけど。
化け物使いと小言幸兵衛は未来に残って欲しい。残らないなら仕方ないが。
2時間半、たっぷりの楽しい会でした。
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