俺は寄席には行かない!

「どうしたの遊太、顔色が悪いよ」

「・・・もうダメです、俺は」

「まあ、確かに今日はずいぶんやらかしたよね。池袋演芸場始まって以来のしくじりのデパートだわ。あら、ちょっと昭和の言い方だったけど」

「・・・」

「厳しいけど、今日を全部振り返ってみようか。まず高座ね。開口一番でもって、なによあの噺」

「・・・転失気っす・・・」

「あの転失気はないよね。医者の先生がいきなり和尚に向かって『おならはありますかな』だもんね。史上初じゃない、ネタバレ転失気」

「・・・嘘じゃないでしょ・・・」

「まあ、確かに嘘じゃないけどね。あそこが今日は一番ウケたよね」

「・・・ウケました」

「喜んでんじゃないよ。君の落語、ここまでひどくなくてもいつもネタバレしてるからね。子ほめでは『灘の酒飲ませろ』だし、「平林」では、読み方をひらばやしだって教わるし」

「つるでもやりました。隠居が、『つーと飛んできて、ると止まる』って教えたんです」

「筋金入りね。で、やらかした転失気よ。どうごまかすかなと思って袖で見てたら、和尚が、『おなら?・・・転失気のことですか?』だもんね。ここでもって転失気がおならだと、丸わかりよね」

「寄席に来る人は、みんな転失気ぐらい知ってるでしょ」

「そういうもんじゃないでしょ。まあ、失敗は誰にでもあるから仕方ない。でも、初めに返ってやり直すのかと思ったけどね」

「・・・敵に後ろは見せられないっす・・」

「楽屋入りしたばっかりの前座がなに言ってるのよ。なにしたっけ、自分の口で言ってみなよ」

「・・・ええ、アドリブをかましました。『これから転失気とおならを求める珍念の長い修行の旅が始まりますが、あいにくお時間でございます』」

「それアドリブって言わないよ。前座が2分で降りてきてどうするんのさ。楽屋大混乱だよ」

「立前座のねえさんが上がってくださって助かりました」

「今頃礼を言われてもね。君の名前、ネタ帳に書く前だったのだけ不幸中の幸いだよ。まあ、それはそれとしてさ」

「・・・ええ・・・」

「今日いくつしくじった? 言ってみ?」

「ええ、まず高座返しのときに、縫い目をお客さんのほうに向けました」

「でも二ツ目のアニさんが偉いね、気づいたからね。まあ、マクラのネタになってよかったよ。でも次が悪い」

「そうです。もう一回同じ返し方をしました」

「どういう頭の中身してるんのさ。わざわざひねりを入れてめくるから、縫い目が変なところ来るんでしょ」

「自分としては普通にめくっただけなんですが」

「普通にあんなことされたら怖くて仕方ないよ。まだあるよね、それから違うメクリ出して」

「・・・・・・・・・・俺はもう、寄席には来ないぞ!!」

「なになに。辞めるの?」

「辞めない! 俺、三柳亭遊太は寄席に来ない不登校落語家になる!」

「ああ君、引きこもり出身だったよね。ここは学校じゃないから不登校じゃないよ。まあ、あえて言うなら不登席かな」

「ありがとうねえさん。俺は不登席落語家になるんだ!」

「なれないよ、そんなもん」

「今どき楽屋にこもるなんて、師匠に付くなんて古いんだ! ネットの時代なんだから、寄席なんて行かなくても立派な噺家になれるんだ!」

「聞いたことないよ」

「不登席は不幸じゃないんだ! 行きたい前座は寄席に行けばいいけど、行きたくない前座は行かなくていい! 前座は寄席に行く権利はあるけど義務はないんだ!」

「義務はあるってば。前座なんだから」

「俺は落語界に革命を起こすぞ!」

「ちょっとちょっと、遊太がおかしくなった。誰か来てえ!」

***

「そうか。あの遊太もいなくなってもうじき1年か。あいつ、あのあとどうなったの」

「あのあとですね、寄席を飛び出したまま、東京からいなくなりました。師匠も連絡が取れなくて、破門の通告もできなかったんですよ」

「You Tubeやってるって聞いたけど」

「確かにちょっとやってましたけど、登録者数一桁でしたからね。それに不登席落語家とか言ってるから落語やってるのかなと思ったら、ひとりでずっと冥想してるんですよ。あと、師匠の悪口ぶつぶつ言ってました。だっせーとか」

「革命は起こせてないみたいだな」

「実はつい昨日のことなんですよ。本人から電話がありましてね。私の二ツ目昇進におめでとうって言いたかったみたいで」

「いいところもあるじゃないか」

「そのあとがいけないんです。私に向かって、稽古つけてくださいっていうんですよ?」

「稽古? なんの?」

「落語ですよ。まだ当人、廃業したつもりじゃないらしいんです」

「前座の途中で寄席飛び出して、廃業じゃないっていったいどういうこと?」

「ええ、フリーのプロ噺家のつもりらしいんですよ。公民館あたりで一度やったそうなんですね」

「それ、天狗連って言うんだろ」

「私もそう言って、稽古は断ったんですけどね。噺家続けたければまず師匠に詫び入れて戻るしかないでしょと」

「そらそうだよな」

「でも不登席落語家というキャッチフレーズに、共感してくれた文化人もいるそうで」

「文化人? ただの元前座の言うことに?」

「脳科学者のモギケンさんっているでしょ?」

「あ、あのアハモ体験とか言ってる人。脱税した人ね」

「アハモはドコモですけど。あの人が褒めてたそうなんですよ。そうそう、これですこれ。『日本の寄席教育って全然よくないですよ。もう断言しますけど、だから日本の寄席はこんな惨状になっているわけでしょ。自分の頭でものを考えるとか批判的に思考するということが全く寄席で培われていないからこういうことになる』」

「寄席に来ないと批判的思考ができるようになるのかな」

「それだけじゃなくて。遊太にはまだ続きがあるんですよ」

「続き?」

「昔の噺家の遺族に会ったみたいです。そこで気に入られて、名前をもらう約束をしたんですって」

「名前って名跡ってこと? マジかよ。ただの素人に襲名なんかさせられるか。で、何の名前?」

「橘家圓喬だそうで」

「コラーッ! ごめんごめん、君に怒ったんじゃない。神さまみたいな人じゃないかよー!」

「名前を持ってるお爺さんの話し相手になったんだとか」

「なんで寄席にちょっといただけのやつが圓喬になるんだ!」

「うん、まさに寄席に行かないで革命を起こしましたね」

「起こせるか!」

圓喬が復活したなどというニュースが結局世に出回ることもなく、その後の三柳亭遊太くんの行方を知る人は、誰もいません。

作成者: でっち定吉

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