更新遅くなりました。
廓噺大好きの私であるが、お見立てだけはあまり好きじゃない。
だが、雲助師のお見立て、嫌な部分が皆無である。
わかってるので、初めからガッカリしたりも一切ない。
一般的な見立てが好きじゃないのは、設定が笑いのためだけにエスカレートしてくところみたい。
「死んじゃったって言いなよ」というセリフは、おいおいついに死んじゃうとこまで嘘つくのかよ、という面白さだと若手はたぶん思っている。
でも人間国宝になるとそうじゃない。そんなことを平気で言い放つ花魁のテキトーさこそ、いちばん面白いのだ。
だから雲助師の場合、ごく自然に死んじゃったまで進んでいく。
本当は、自然なわけないのだけど。
喜助のほうは、どこかの時点で一部嘘を認め、引き返したい。
でも花魁はそんなこと考えない。テキトーのすわり具合が違う。
弟子の馬石師のお見立てをかつて聴いた際、ちょっとだけ世間のものと変わってるなと思った。
花魁が病院に入院しているウソなど。これも師匠から来ているらしい。
だが原典らしき雲助師のものも、また唯一無二である。
雲助師、寄席のスタンダードならそんなことはないが、大ネタになると「ごく普通の演出ですよ」という雰囲気で、誰もしない展開を入れてくる印象。
こんなの。
- 喜瀬川花魁のいる部屋は、誰かなじみの部屋らしいが客は一切描写されない
- 茶で目を濡らす際に、杢兵衛大尽の気を逸らす描写がなく、堂々付けている
- 笑い上戸の喜助、花魁の知恵でもって、足の下に扇子を置いてゴリゴリ(見たことない)
よく聞く演出では、花魁は無人の部屋でサボっているようである。少なくともそう映る。
二ツ目さんなどなんとかこの辺り自分の腑に落ちるように説明を入れるのだが、うまくいっていないかも。
雲助師は、もう堂々と語る。
馬石師だって、「あー!」とか叫んで杢兵衛大尽の気をそらし、どさくさに茶を目に入れていた。
しかし雲助師は堂々やる。
本当に杢兵衛大尽の目の前でやってるわけじゃないのだろうが、演者としては堂々これをやる。
こういうところに、人間国宝のぞろっぺえさが現れていて楽しい。落語なんて、どうせ嘘なんだからさということかな。
嘘を本当にしようとすると、どこかに作為が残る。若手から感じるところである。
開き直っちゃうと強い。
最後の扇子ゴリゴリはまったく初めて。オリジナルだろうか。
笑いを抑えようとゴリゴリする喜助の所作がわかりやすいので、爆笑。
それにしても、軽い。
人の生き死にをこれだけ軽く描くのはすごい。
これなら、全部ウソだとバレた後で、杢兵衛大臣も怒らない。いや、そんなわけはないが、でも呆れて怒らないかもしれない
杢兵衛大尽はもう、ストレートに面白い。死んだと聞いてからの謎の叫びが最高。
キャラが面白いので、ギャグは不要。
花魁の嘘によると、花魁は鍋焼きうどんを食べて、杢兵衛大尽を思い出し、こと切れる。
うどん、というのは江戸っ子から見た田舎者(タ印)の象徴なんでしょう。
私は素人落語家ではない。
でもちょっと感じたことがある。
「雲助師の通りに語ったらウケる」素人落語家には、そんな気がするんじゃないか。
実際は、もちろんムリ。
だけど、普通に語るだけでウケるその落語、真似られそうな雰囲気だけはあるんじゃないかと。
国宝の落語は、やってることが客にストレートに楽しい。
しかし、やってることの奥深さは果てしれない。
セリフ喋ってるだけで楽しい落語が、何人いるでしょうか。
お見立てが終わり、時計は19時50分くらい。
このままだと、20時30分に会が終わってしまうなあと。実際、終わりました。
軽いのでいいのであと1本聴きたかったと思うのは厚かましいでしょうか。
仲入り休憩後の家事息子は、本当に素晴らしいものだった。