五街道雲助独演会@横浜にぎわい座(下・「火事息子」)

雲助師の「お見立て」でちょっと思い出した。
杢兵衛大尽を案内して、山谷へ墓参りに出かける喜助。
提灯がいるかいと問われて、「いや、もういい」。
空が白んできたからだ。
これも初めて聴くのだが、やはりさぞ当たり前の演出のように語るのがたまらない。
ただ、早朝から花と線香買えるんだななんて別の疑問は湧く。
喜助も(お店開くのが)「早いね」と言ってるけど。

仲入り休憩挟んでネタ出しの火事息子。
マクラは、江戸時代の火事と、彫り物。

江戸の建物は木と紙でできてるのですぐ燃える。なのでどこの町内にも火の見櫓と火除け地があった。
火事が出ると、遠くでジャーンと銅鑼が鳴る。
近づいてくると、ジャンジャンジャン。迫ってくるとガラガラガラ。

火消しは3種類あった。町火消しに大名火消し、定火消し。
いろは48組も、最初はい組とろ組しかなかったという。
いろはのうち、ない組がある。
「ひ」組はない。
「め組だ!」と来るのは威勢がよくていい。
「ひ組だ!」は具合が悪い。

「へ」組もない。これはだらしがない。
そして「ら」組もない。なぜ「ら」がないか。
屋根に登って纏を振る際、「ま」組の次に「ら」組が来たら具合が悪い。

なので、ひ・ら・へ組は百・千・万組と名乗った。
実際にはもう一つ、「ん」の代替となるらしい「本組」もあった。

ちなみに東京消防庁のサイトに、江戸時代(享保)の各火消しの規模が載せられている。
これを見ると面白い。
一番人足が多いのは意外にも「よ」組の720組である。
対して「本」組は25人しかいない。
「こ」組も35人。このあたりの弱小組を舞台にした時代小説って読んだことないな。

それから定火消しである臥煙が背負ってるもんもん。
あれは針を刺すので痛いもんだそうで。
痛いので、筋だけ掘ってやめちゃって、なんだかわからない彫り物もある。
大師匠、志ん生にも、腕に般若の彫り物があった。
ただ、歳とってシワシワになっていて、なんだかわからなかった。

彫り物の大会があった。
優勝した男は、なんとイチモツの先っちょに蚊の彫り物があるだけ。
この男が優勝。
なぜなら、いきりたった状態において、針を刺さないと彫り上げられない。
これが究極の我慢なのだ。

たっぷりマクラ振って本編へ。
マクラも実に楽しい。

意外なぐらい、シンプルな火事息子であった。寄席サイズ。
もちろん、それがいいと思えばこそである。
雲助師の家事息子は、ハードボイルドだ。登場人物の心中を描写しない。
外側からだけ描く。セリフのやりとりがあれば十分。
お袋さんは内心を吐露するが、主人は一切語らない。そこに涙する。

現場で聴いたことはほとんどない噺だ。季節ものだし。

遠くでジャンが鳴っている。
質屋の伊勢屋の小僧・定吉が通行人の陰口を聞いてくる。質屋のくせに蔵の眼塗りしてないよ。あんなところに預けるのやめよう。
カシラも出払ってていない。仕方ないので主人と番頭、定吉の3人で慣れない目塗りをする。

伊勢屋は風上にある。
実のところ、店が燃えてしまう心配は一切してない。ひょっとしたらという心配すらない。
ただひたすら、商売上の必要があって目塗りを頑張る。
ましらのように屋根を伝ってやってくる、元・旦那の藤三郎も、実家が燃えてしまう心配は一切していない。
臥煙だから、火の回り具合はすでに読めている。
なのに心配してこっそり手伝ってくれる。実家の商売上の心配でそうしてくれているわけだ。

小僧の定吉も、用心土を、凍りついた水で練らされてかわいそう。
小便でこねていいですか。
しかし小僧も、防火という意味はない、商売上の信用のために頑張るのだから偉いではないか。

高所恐怖症の番頭は、旦那が下から投げてくれる用心土を、へっぴり腰なのでキャッチできない。
それを上から藤三郎が、折れ釘に縛りつけてくれる。
この両手が空いた、ぶら下がる番頭の所作がたまらない。
私はこのビジュアルこそ、火事息子のハイライトシーンだと思った。異論は承知ですが。
後はスイスイ。

臥煙の藤三郎も、番頭を活躍させないといけないとよくわかっている、

火事見舞いが次々始まって、そういえば番頭さんどうした?
まだ蔵の折れ釘にぶら下がってます。
これだけは変だ。若旦那の藤三郎が降ろしてくれるだろうから。
まあ、ここは大事なクスグリ。

ところでこの噺、人情噺の例からすると、サゲがこうなるのが自然な気がする。

「若旦那、勘当が許されまして。伊勢屋の跡取りに戻ります。火事息子の一席でした」

でも、そうはいかない。勘当が解かれたとしても、もんもんだらけの若旦那が跡取りになれることはないのだろう。
とはいえ臥煙になっちゃった以上、もんもんは必須。
旦那の最大の後悔は、たぶんここにあるのだろう。
ああ、なんで若旦那が町火消しになりたいと言ったとき、送り出してやらなかったのだろう。
後悔しても仕切れない。
そこらへんの逡巡があっての、「表に捨てちまえ(誰か拾うから)」なんでしょう。

人生の機微を味わい、いい気持ちで帰りました。

(上)に戻る

コメントする

失礼のないコメントでメールアドレスが本物なら承認しています。