月曜に鈴本演芸場、喬太郎師の千秋楽に出向き、昨日4日間の続きものを終えた。
行った日に、その喬太郎師の「擬宝珠」の記事が検索ヒットした。なにかと思ったら、あかね噺の最新話にこの噺が出てきたそうで。
マンガの世界では、この初代圓遊が作った擬古典落語は、まだ埋もれた噺なわけだ。
当ブログ、あかね噺の読者も結構来ているようなのである。
「前座噺」で検索すると、当ブログの「前座噺あれこれ」がヒットする。
その後、ブログ内検索やタグをたどって前座噺について個別に調べてくれているとまでは思わないけども。
しかし、私は根本的に、あかね噺には冷淡なのであった。
この記事に来る人は、「あかね噺 つまらない」で検索している人。
真のファンは読んでいないかもしれない。
とはいえ、情報を探しに来てくれるあかね噺の読者にも、もう少し親切にしないといけないのではと反省もしたのだった。
もともと当ブログ、初期の初期は「昭和元禄落語心中」の劇中落語解説をしていた。それで徐々に人気が上がっていったのだ。
それでもアクセス数は現在の30分の1だったと思うが。
定吉は一夜にしてならず。
そんなわけで、あかね噺の続きを読んでみることにした。
なお、あかね噺をいまだに毛嫌いしているわけではなく、2巻はすでに読んでいる。
ちょっと面白かったのに、すぐ続きを読んでいないのはなぜか。
それは、私がLINEマンガとマガポケの無料マンガだけで、そこそこの量を日々読んでいるからだ。
あかね噺のための脳内スペースがないのだ。
まあ、ブログのネタ確保のためもあるし、読んでみよう。
3巻を購入。もう8巻まで出てますがね。
auブックパスでもって安いときもあったのだが、電子書籍の保存場所がバラバラなのも困る。
1・2巻と同様、eBookJapanで買う。
20%還元のクーポンがあったが、適用されるためには1,500円必要ということで、以前ブログで取り上げた「しょせん他人事ですから ~とある弁護士の本音の仕事~」の2巻なども併せて買う。
さて、先ほど読み終えたのだが、面白かった。2巻よりなお。
作者たちが落語にだんだん詳しくなるにつれ、背後の空気感が濃厚になり、落語ファンである私にだんだん刺さってきたということだ。
なのでもう、偏見はほぼ払拭しました。
詳しく、というのは単に知識の量ではない。高座に潜んでいる何かをつかもうという意欲に基づくものだ。
作者のフィルターに引っ掛かったものは、見解が違っても尊重しよう。
今日の記事のタイトル「結構面白かった」でも「かなり面白かった」でも構わないのだが、先に取っておいたほうがいいでしょう。
ジャンプマンガらしく、ライバルもいよいよ増えてくる。
現実世界に引き戻すと、プロになる予定のあかねちゃんにとって、学生落語大会の出場者は将来のライバルではないと思うが。
イヤなライバルを担当する学生落語家「練馬家からし」君も、きっとプロにはなるまい(ストーリーの先を知っているからって、教えてくれなくていいですよ)。
これはなんですか、わさび師匠がモデルですか? わさび師匠よりはかなりイヤなヤツだが。
からし君は大きな勘違いをしている。悪役としては最適の勘違いだ。
古典落語は古臭いから、現代に置き換えてやると。というわけで、転失気を大学の研究室に置き換えて演じる。
「BM」がわからないのに返事をしてしまう男。
こういう改作、昔からポツポツある。ただし一度も、落語シーンにおいてメジャーになったことはなく、ちょっとしたお愉しみ程度。
- 新・寿限無(三遊亭円丈)
- ハイパー寿限無(三遊亭白鳥)
- 手紙無筆USA(三遊亭円丈)
- アキバぞめき(柳家小ゑん)
- ウルトラ仲蔵(柳家喬太郎)
- 千早ふるニュートリノ編(柳家小八)
- 千早ふる唐揚げレモン編(桂竹千代)
- ちりとてちん(多数)
いずれも、落語ファンをニヤッとさせる目的で作られたパロディなので、からし君とは目的が違うのだが。
共通項は、原典を知っていないとさして面白くないということ。
からし君は結果こそこうした作品に近しいものの、目的は一致していない。
だいたい、昔の噺だからわからないなんてヤツは、新作落語はもっとわからないのである。情景を思い浮かべる能力すら欠けているので。
子供に聴かせる際も、古典落語のほうがずっとわかりやすい。
そして声優、高良木ひかるは演劇の手法で芝浜を演じる。
実際に泣いてもみせる。
高座で本当に涙を流したとして有名なのが、五代目三遊亭圓楽(馬の圓楽)。
もっともその行為自体評価されたという話はないけれど。
そしてあかねちゃんは、師匠の厳命でもって「寿限無」一本で高座に上がる。
登場人物の了見をわきまえるためという、弟子への教育。自分で考えさせるため理由は言わない。
「寿限無はつまらないし寄席で掛かることもない」とある。
数年前までは本当にそうだったのだが、ここ5年ぐらいは結構寿限無を聴いている。こういう流行りすたり、アッという間に変わるのであまり断定できないんだよな。
ただ、前座さんが普通にやって楽しい噺というわけでないのも事実。
二ツ目に昇進して小ふねになった、柳家り助さんのはやたら面白かったな。本寸法とはいえないが。
「了見」とか、「高座から演者が消える」とか、あるいは「なんじゃそれ」アイテムかもしれない。
そんなの関係あるのかよと。笑いは少ないより多いほうがいいだろうし、演者が消えるわけなんかねえだろうと。
だが、演者が消える錯覚を持つことは、実際にあるのだ。
あかね噺も、3巻まで続いてようやくこうした謎アイテムを読者に提示できるようになったのかもしれない。
面白いことに、登場人物の了見を突き詰め客を魅了したあかねの寿限無、結果的に改作になっている。
名前が長すぎてトラブルの起きるエピソードを自分で考えて変えているのである。
ただし、あかねに言わせればそこは肝ではないのだと。登場人物の了見は描き終わっているのだ。
主人公の魅力がどうも湧いてこないなと、2巻でもなお思っていた。
だが、ここにきて記号的な魅力は出てきた。
あかねはつまり、落語の登場人物なのである。寿限無のおかみさんのような、記号に見えるキャラと思えばいい。
記号だから、なんにだってなれる。
また4巻も読むつもりです。
ついていきますよ、ゆっくり。