笑福亭松喬「あんま炬燵」(上方落語をきく会)月亭方正も

火曜日まで聴ける「上方落語をきく会」を昨日に続き取り上げます。
今日は、スマホに切り替えたら聴けるようになった昼席から。

中トリの笑福亭松喬師は、才人の揃う上方落語界で私が最も好きな人。
生の高座は末広亭で一度聴いただけであるが。
語り口は能弁でもなく訥弁でもなく。その中間を意図して進む。言ったらごく普通の語りなのだが、終始ユーモアが漂うところが持ち味。
ときにふざけもするが、常にギリギリの線を狙い、決して噺を壊したりはしない。

「按摩の噺でお付き合いいただきますが」
あ、最後の「が」が鼻濁音だ。
視覚障害者に関するフリはなく、「マッサージ」から中学生時分に聴いていた仁鶴頭のマッサージ、そして聴いた結果落語家になってしまう師自身の人生に持っていく。
あえてこうしているのだろう。

演目は「あんま炬燵」。
東京では按摩の炬燵。これは落語研究会で喬太郎師が出していた。ひと昔と違い、放送コードはOKのようだ。
盲人の按摩さんを暖房用具にしてしまう、現代社会ではかなりアレな噺である。

喬太郎師の按摩の炬燵は、師の細やかな工夫は響くものの、私はついに最後まで楽しく聴けなかった。
限界の向う側にある噺であるなと。
ただ、松喬師のものは構造が違っていた。
按摩さんのほうから、(火事を出さないため)炬燵を使わせてもらえない奉公人のために、炬燵になってやろうと申し出るのである。
先代松喬のものは未聴だが、すでにこうだったのだろうか。
これだけでもう、気持ちよさが格段に違う。それ以外のストーリーはほぼ同じなのだけども。

もうひとつ違うのは、噺の全体像がほぼ按摩の独り語りであること。
商家の手代や丁稚たちの日常風景はカットされ、按摩の立場から(たまに下ネタ入りで)世界を描くのである。完全に按摩が主人公。
酒好きの按摩の、楽しい家庭の日常が描かれて非常に楽しい。
東京の「粗忽の釘」でたまに見られる、夫婦でたらいに水を張って(贅沢にもお湯だ)背中を合わせて洗いっこするくだりまで。
かみさんとの出会いのくだり(ちょいエロ)もリアルに入り、子供の耳があるので番頭が止めている。
按摩の名は「徳さん」。徳の市とでもいうのだろう。

ラジオだから盲人の噺はピッタリだ。聴覚だけで成り立つ世界が擬似的に描かれる。
でも、実際の高座はもっと楽しいものだったろう。私も按摩のセリフで目をつぶった所作を想像しながら聴く。
もしかすると、私が扇辰師の「麻のれん」を聴いてグッと来るがごとく、なんだか感極まったお客もいるのではないだろうか。そんな想像をする。

それから2番手の月亭方正師。
一昨日書いたとおり、よかったと思うので取り上げる。
マクラでもって、生放送というのを初めて知ったと語る。
嘘つけ。3年前出とるやないかい。
30分ある「御神酒徳利」を、20分でやりますと語る。

方正師、言わずとしれた山崎邦正であるが、3年前の高座を聴いて私は「大丈夫か」と書いた。
寄席で重宝するごく軽い「大安売り」。めったにコケる人をみたことないこの演目がパッとせず。
ひたすら絶叫モードだった当時力を入れすぎていたのか。だが、方法論を見つけたようだ。
タレント時代と断絶のない喋りでもって、その皮を被ったまま一席やろうということか。ムリのない高座。
欠点としては、結果としてこれが枝雀の語りになってしまうのであるが。文珍師から教わったというのに。
面白いことに、タレント出身だけあって、ラジオから演者の表情が見えてくる。

この語りはなにかを憑依しているために、地のギャグは乗せづらい。
ただひとつだけ、細木数子に「地獄に堕ちるわよ」と言われたエピソードをマクラで語っておいて、本編に入れ込む工夫。
枝雀の憑依した語りを確立し、その中でトーンを上げ下げするのは実に上手い。
この先独自の語りに到達すればすごいかも。なかなか難しいことだけど。

ちょっと気になったのは、「はしご」のアクセント。
東京の私が指摘するのもおこがましいが、本来は真ん中を上げる典型的な関西アクセントのはず。東京が長いとうっかりするみたい。

あとは最近急激に売出し中の笑福亭鉄瓶師。
マクラが面白かった。
前日は東京で喋っていた。東京の噺家と飲んでいたが、中途半端にホテルに帰っても寝る時間がない。
なので朝まで付き合ってもらい、新幹線で寝ることにする。
事務所の取ってくれた新幹線は、広島行き。寝過ごしたら終わりだ。
だが隣の席で一生懸命仕事していたサラリーマンに声を掛けたところ、自分は京都で降りるので起こしてあげますと言ってもらう。なにも最初からその目論見であったわけではない。
安心して寝る鉄瓶師。パチっと米原で目が覚めて、結局熟睡していた隣のサラリーマンを起こしてあげたという。
知らない人とも話してみるもんですねという噺から、堪忍袋(師匠から来ている)に進んでいった。

おかげで今回の放送、ほぼ聴けました。例年と比べても、実にレベル高い会だったと思う。
米團治師の昼トリ「猫の忠信」も聴けた。
あとは、夜トリの南光師「素人浄瑠璃」だけなのだが、タイムリミットが近づいている。
聴けなかったらいずれなみはや亭で。

作成者: でっち定吉

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