音助さんは、コットン西村がXでやっている天気予報を参考にしている。
西村は気象予報士ではなくて、世間の天気予報を分析し、独自の予想をするのだ。
あいにく、客にはコットンがピンとこないようす。
一席め本編は、八っつぁんと隠居の会話から。
聴きたいことがあってやってきた八っつぁん。隠居はいつも知らねえことなんてないと高慢なツラしてるから教わりに来た。
訊きたいのは知識なんかではなく、今日これから雨が降るかどうか。降らないのに傘持ってくと忘れてしまう。
珍しい、日和違いだ。さすが珍品の一門である。
鯉昇師以外にやる人知らない。そして、鯉昇師がやるものよりぐっと長い。
設定も違っていて、易者は出ない。
いつもの八っつぁん&隠居で始まって、ちょいと珍しい噺に進むと嬉しくなる。しかも、まるで初めてのバージョンだし。
とぃっても、この場面から始める珍しい噺はせいぜい、浮世根問に十徳ぐらいか。どちらも本当に珍しいわけでもない。
あとは、ここから「つる」に行くのを聴いたときは少々驚いたものだが。
隠居は「今日は雨が降る天気じゃない」と教えてくれる。
曇ってきても、余裕をかます八っつぁん。みんな雨降らねえとも知らないで傘持って、と優越感に駆られる。
だがぽつりぽつりから、ざあざあ降り。
米屋の軒先借りて雨宿り。傘を借りたいが、知らない人なので断られる。
ただし樽が転がっていて、これはタダでくれるという。なので八っつぁん、樽をすっぽりかぶる。
頭に被せるのはさんだらぼっちでなくて、扇子。樽から手足の生えた男が雨中歩いてるので、街中の注目を浴びる浴びる。
珍妙なスタイルのまま、すれ違った人たちに天気を問う八っつぁん。みな職業に応じて答えてくれる。
最後に、嘘を教えた隠居に、嘘教えやがってとねじ込みに行く。
小助六師もそうだが、所作が美しいのは一門の美学であろう。
所作から楽しい画も見えてくる。
こういう噺が寄席で、前座の転失気や元犬のあと番組トップバッターとして出てきたら、なかなか楽しいだろう。
この隠居は知ったかぶりではなくて、予言を100%的中させるミラクルワードを持った人である。
続いて二席めは、奉公人とお店の娘ができちゃうことがあると振ってたように思うが、花見小僧へ。
春を先取りする噺。
花の季節の落語というと、長屋の花見と花見の仇討。花見酒はめったに聴かない。
花見小僧もそこそこは聴く。
ここでまずかった台湾まぜそばが効いてきて、前半5分ぐらいウトウトしてしまう。まずいわ眠くなるわ、昼メシとしては最悪だな。
ただ小僧の定吉登場のあと、まだそんなには噺が進行してなかったと思う。
まったく聴いたことのないバージョンで驚いた。
かつて三笑亭夢丸師から聴いた、定吉が遠景に隠れず常に噺の全面に出ているものとはやや似ていたように思う。
ただそれとも違っていて、ストーリーがとことん軽い。
定吉が旦那と番頭の戦略に掛かり、徐々にナイショの話を自白する、ただの滑稽噺。
「ただの」は悪い意味ではない。
旦那も娘と奉公人がデキているのを知ってもわりと平然としている。なのでわりと脱線エピソードに入っても平然とついていく。
「うで卵半分こ」のエピソードも、やっぱり軽い。
すぐに脱線エピソードに入るのは、定吉なりに旦那をケムに巻こうとしているのだろうが、旦那は全然動じない。
そしてなにより、おせつ徳三郎の二人が結ばれるシーンが描かれていないのだった。
こうしてみると、特に落語協会で聴ける花見小僧って、なんだか不自然さがぬぐえないなと思った。
どう考えても旦那は、大事な娘が傷ものになったのではないか、そこが最も気になるはずだ。
なのにそこから子供の策略で脱線していった話にいちいち付き合うなんて、やはりヘンだな。
落語協会のは、手が入りすぎてしまい、すでに戻せなくなっているのかもしれないな。
シンプルなままの雷門の魅力を知る。
サゲも綺麗に決まって、これじゃ刀屋には行けないではないか。刀屋と無関係に成り立っている花見小僧は初めて聴いた。
それでも、つなげるときにはちゃんとそれ用の持ってきようがあるのだろうけど。
マクラで音助さん話していたが、開演前は春のポップスがずっと流れていたようで。有線なのだろう。
仲入り休憩ではあおい輝彦のHi-Hi-Hiなんて流れていた。
まあ、私は後半に備えて寝ていたけども。
続きます。