小痴楽師は持ち時間20分だったようだが、主役を立てて軽い松山鏡。
でもこの人はこんな軽い演目が極めていいので。松山鏡は演芸図鑑でやってた。
松山鏡は根底に親子の愛情が漂っているが、それほど強調しない。
あくまでも、鏡を知らない純真な人たちの滑稽噺。だからといって、かみさんが自分の顔を初めて見た、その不器量ぶりを強調したりもしない(客は勝手に笑うけど)。
じゃ、いったいなにを描く?
このシンプルな噺における最大の魅力は、演者の言葉である。
マクラからそうなのだが、小痴楽師の語りはスピーディ。
ひとつの息継ぎの中に、言葉を非常に多く放り込むので、こちらも高揚してくる。
そして、今回秘訣をひとつ発見した。
息継ぎがもうすぐ必要。そのときに小痴楽師、瞬時に、あと何ワード放り込めるだろうと考え、逆算して最適な言葉数を当てはめるのである。
噺を機械的にセリフで覚えている人には、縁のない世界。
そして噺をセリフでなく場面で覚えていて、その都度言葉を繰り出す人であっても、こんなやり方はしない。
失敗して息継ぎまでに言葉が入りきらない場合、変なところでブレスをしてしまうことになる。そんなヘマはしない。
さりげなく、実に大変なことをしてるなと。
このスキルが、小痴楽師の最大の武器なのではないだろうか。
珍しい、昼間の小痴楽師が聴けてよかった。
ヒザは桂小すみ先生。
本芸は三味線に加えて尺八。冷房がよく聴いて乾燥してるので、尺八は音を鳴らしづらそうだった。
主役である歌近さんが娘の同学年だった話を当事者として語る。私も若いと思ってたんですけど歳を取るわけですと。
市川のローカル話が面白かった。
小すみ先生はもともと横浜の出身で、歌助師の近所。越してきて久しい。
市川には、浅野内匠頭を取り押さえた梶川与惣兵衛の領地があった。
市川には、最近まで検番があって、芸者もいた。市川真間は三業地で、賑やかだった。
さらに、かつてこの地に鈴本演芸場まであったのである。歌丸師匠も自叙伝に書き残している。
だから市川の皆さん、交通が便利なこの地は、上野浅草新宿、どこでも行けます。でも、もっとこの地で落語会をやりましょう。
この会ももっと回を重ねて行きましょう。
小すみ先生も、独特の喋り方の人。三味線をつまびきつつ、上ずりながら喋る。
市川でもっと落語会を、というあたり、なんだかグッと来てしまった。
トリのもう一席、歌近さん。
マクラはほぼ振らないで、左甚五郎の説明へ。
飛騨高山で生まれ、京で修業した生涯をじっくり説明。竹の水仙を献上し、左甚五郎となる。
三井の大黒の発注を受けて、江戸に初めて下ることにする。
もう25年ぐらい前に、ホール落語で続けて、歌丸師の竹の水仙を聴いたことがある。
こういう出だしだっただろうか。世間で掛かる竹の水仙の中では、珍しい導入部かも知れない。
だから、身バレしている。
神奈川宿が舞台。ここもいろいろあって、小田原固定の抜け雀と異なり、鳴海とか大津とかの宿場も舞台になる。
手付に50両もらったのに、のんびり下ってきて使い果たす甚五郎。
カネがなくなった理由にも、ちゃんと触れてあるのだった。
ちなみに、甚五郎の着物はおかみさんいわく正宗。触ると切れる。
かみさんの策略は、金沢八景のご見物でもなさったらと持ち掛けよというもの。行かなければ、文無しに違いない。
行かない場合、宿場の取り決めが最近変更になり、5日ごとに勘定はもらうようにということになったと伝えよ。
金沢八景など絵で見たから行かないと甚五郎。そしてカネはない。
慌てず騒がず、裏の竹林にのこぎり持って行こうではないか。
のこぎりと竹林は笑いどころだが、ここも渾身の力を込めてやったりしない。
この先はだいたいよく聴くもの。
細川公の家来に200と言って殴られ、改めて駆けて戻ってくる家来に「売り切れ」と隠し、改めて300両で売り。
差額の100両は、宿の儲け。それ以外に甚五郎から50両。
かみさんが自発的に、甚五郎に謝りに行くことにするのは珍しい。
人間関係をとんがらせたままにするのが嫌なのでしょう。
歌近さんは、とにかく変なスイッチを押さない。
演者が過剰に前に出たり、過剰にウケを狙ったり、そういうことを一切しない。
一席めもそうだが、だから聴いていて非常に気持ちが楽だ。
二ツ目の語る大ネタとしては、非常にいい方法だと思う。
最上手に座っていると、下手(出てくるほう)の袖が見える。
袖が楽屋と行き来する唯一の通路になっているようで、見る場合はここで。
歌助師匠が袖に出て、弟子の高座をじっと聴いていたのを私は見ていた。
桂歌近さん、売れてくると思うので要注目です。
現状の芸風、あるいはわかりにくい人もいるかもしれない。
ただ、「マイナスがない」ことに着目すると、たちまちにして理解しやすくなるはずです。
なぜマイナスがないか。過度に頑張らないからです。
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