渋谷らくご8(下・雷門小助六「猫芝居」)

本編は猫芝居。
聴いたことも、速記で読んだこともない気がする。
さすが小助六師。芝居の素養が必要な、難しい噺。しかも珍品。
でも、知らない噺なのに聴きながら演題は浮かんできた。これは謎であるが、よくある。
「猫芝居」というワードがどこかに引っかかっていたのか、あるいはこの演目はどう考えても猫芝居としか演題を付けられないからか。
その両方ではないかな。
いずれにしても、この珍品については、演目の情報が少ない。
今後当ブログが検索に掛かりだすから、しっかり書かないと。

猫の噺を予告していた小助六師、落語と同じく趣味のカテゴリ、芝居を振る。

「チッ、芝居心のねえ犬だあ」

若旦那の孝太郎、使いに出したら返ってこない。もう夕方だ。
番頭さん、あいつはなにをしてるんだ。どうせまた芝居を観にいってるんだろう。
あれ、七段目? 七段目に猫の出番はないから違うのはわかってるが、先に振った小噺も含め設定が七段目。

帰ってきた若旦那が、いちいち芝居のセリフで親父に返答してるのも、七段目の流れ。
出てくる芝居の中身が若干違うのだけども、でもここからだって七段目に全然行けるぐらいの差である。
最も大きな違いは、若旦那の母親が存命ということ。母親は息子に全然甘い。
なので大旦那はかみさんにも怒っている。
かみさんは、昔はあなたも芝居が好きだったじゃないですかと。一緒に観にいったもんです。

二階へ上げられ、梯子段を外されてしまうので、もう下に降りられない。
空腹を抱えて我慢する若旦那。芝居で腹になにか入れておくんだったなと後悔してるのがリアル。
ここまで来ると、確かに七段目とは別の噺だなと。小僧の定吉が二階に上がれない。

ほんのちょっと気になったのは、「梯子段で二階に上がる」というのが、先に出た引越しの夢と被ってる。
まあ、そんなの気にしてたら噺できなくなってしまうだろうが。
でも、レアな噺どうし2席で、若干つくっていうのも面白いな。

梯子を外された二階であっても、難なくやって来れるのが猫のコマ。
コマは日頃から若旦那にいろいろ食い物もらっていて、恩があるらしい。空腹の若旦那がダメもとでコマに空腹を訴えると、ちゃんと伝わる。
コマ、出動。

このくだり、「猫の恩返し」と似ている。猫の名前も一緒なので、元ネタが同じなんだろう。
マクラ聴きながら猫の噺ってなんだろうと考えてた際は、「猫の恩返し」は思い浮かばなかった。
ちなみに、猫の恩返しは「回向院猫塚の由来」でもあり、先日柳家一九師から聴いた「猫定」との共通項もある。

ここからコマの視点になる。
魚屋に出ている鯛を巡って、よその猫と芝居の所作で戦うコマ。
いいなあ、こういうの。
古典落語の時代から、猫は平気で擬人化されていた。歌川国芳の浮世絵など見てると、こういう感性は今も昔も同じなんだと思う。
タコが芝居する蛸芝居なんて噺もあるし。

若旦那のために鯛を見事奪い、ひょいと背負いこんで見得を切るコマ。
猫の災難の、酔っぱらった熊さんが再現する猫っぽくもある。

この後の本来のサゲは、淀五郎と同じ「待ちかねた」らしい。
でも、違うサゲがついていた。小助六師のオリジナルなんだろうか。
大喜びの若旦那だが、猫じゃないから生で、下地もなしに食えない。せめて3枚におろせないかとコマに問う。
コマが、ちゃんと芝居で回答してるのが面白い。これがサゲ。
そこまでの場面、若旦那の前で口を利いてるわけじゃないのに、サゲで急に喋るのが落語っぽくていい。

小助六師の猫愛炸裂。
猫オタクが、芝居オタクの噺をするのがたまらない。
私は猫飼ってるわけじゃないけど、猫飼ってる人の話は嫌いじゃない。
テツじゃない人が鉄道落語の会に通うのと一緒です。
鯉朝、百栄、小助六の「猫らくごの会」があったら参加したいです。

ちなみに小助六師見てると思う。
子供の頃落語オタクだった子供、もちろん本人がやりたければだが、噺家になって結構いいところまで行く気がしている。
社会人になって落語と出会ってカルチャーショックを受け、「これだ!」と間違って入門してしまう人ももちろんいる。
だが落語オタクの子供には、落語の世界が最初からしっかりしみついていて、かけがえのない財産になっているはず。

1時間の席だが、この上ない満足でした。
なかなか、真打でこういう会はないのだよな。二ツ目さんふたりで1時間というのは、梶原いろは亭あたりで見るけれど。

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