笑点メンバーの落語
私のブログの特徴のひとつは、落語ファンから唾棄されがちな笑点を、よくも悪くも取り上げていること。
笑点におけるキャラ作りも、本業にも通じる大変大事なことなのだ。
「笑点の大喜利が落語じゃない」という意見はまったくそのとおり。
だが、「あんなものぜんぶ台本なんだ」などと言い出すと、あれ、あなた? 本業の落語は全てアドリブなの? と言いたくなる。
さらに「笑点メンバーなんて落語はみんなヘタクソなんだ」などと言い出すとしたら、おいおいと思う。
こういう人はだいたい、小三治ファンか志らくファンである。笑点をdisりながら、別の権威を持ち出すのだ。そうかな。
そういった思いがあって、笑点メンバーの落語について書いてみた。
この記事に関しては、新ブログに移してからもまあまあアクセスがあるかなと。
とはいえ、この記事を書いた頃は、まだ私、円楽党にも通っていなかった。
今にして思うと、ちょっと恐れ知らずだった感はある。
内容を書き換えはしないが、その後気づいたことは追記を入れさせてもらっている。
たとえば円楽師。弟子がみな、いいのである。世間はそれをまだ知るまい。
たい平師は、タレントとしては大好きだが、落語のほうはまだピンと来ない。
いずれ、これについても私の認識が変わる日が来るかもしれない。
丁稚版・落語のサゲ分類
これもブレイクしたわけではないが、検索ではよく引っ掛かるようになった。
私としては長大作。自分で説明用の画像まで作った。
新ブログに移して検索に掛からなくなり、埋もれていくのは惜しいのです。
分類して何の役に立つのだと言われると困る。でも分類するのは楽しい。
小難しい内容ですが、そういうのが好きな人もいるでしょう。
「NHK新人落語大賞」の桂三度
三平師の記事はこちらに移さず、棄ててしまったが、同じ噺家批判でも、多くのアクセスを集めた桂三度さんの記事は削除できない。
ご本人には申しわけないのだが、私自身、結構気に入っている内容でもあるので。
噺家・桂三度については、NHK新人大賞を獲っても、私はやっぱりダメだ。楽しく聴けない。
新人大賞の権威を否定する気はないけれど。
落語というもの、もともと座布団に座ってひとりで演じるという大きな制約のある中に、溢れる自由を隠し持っている演芸である。
だが三度さん、外からやってきて、「落語ってこんだけ自由なんや」と過剰アピールしている気がしてならない。
あなたに発見してもらわなくても知ってるよ。そう言いたくなる。
基礎を踏まえていない人が応用編だけ見せつける点に、イライラしてならないようだ。
三度さん、全否定しようなんてしていない。その証拠に、褒めた記事も書いている。
三度さんは、次の属性を併せ持った人である。
- 芸人上がり
- 新作落語
- 上方落語
- 声を使い分ける
幸い、私は上記のどの属性に関しても、偏見がゼロである。つまり、偏見からスタートして批判しているのではない。
さらに言うなら、「3と倍数でアホになる芸人」に偏見を持っていたわけでもない。
最近の二ツ目さん、芸人上がりがやたら多くて、最近数多く巡り合っている。笑福亭希光さんなんて、東京の上方落語でもある。
最近ブログで取り上げた人に限定しても、三遊亭とむ、三遊亭鳳月、春風亭昇也、桂竹千代、立川吉笑、立川笑二などなど、みな芸人上がり。
新作落語についても、子供の頃から馴染んで聴いている。春風亭柳昇など。
上方落語については、最初から東京の落語と区別して聴いていない。
三度さんの落語を受け入れられなくても、落語ファンとしての審美眼に欠陥があるのでは、偏見があるのではと気に病む必要はない。
既存の落語ファンが、三度落語に気持ちよさを感じられない限りは、期待はできない。
落語ファンの裾野を広げる貢献はするかもしれないが、三度さんから落語に入ってきたファンは、たぶん既存の落語のほうには行かないと思う。
それなら、広い落語界の隅っこにいる、マイナーな一ジャンルに過ぎないだろう。
以上、古い記事もご愛顧のほどを。