青森さんは粗忽長屋、ただし新作口調であり、日常の噺を語るように噺に入る。
人が集まっているのでかき分けるようにやってきたら、ここに出た。なにがあるんですかと町役人に訊いているのは大工の八っつぁん。訊かれる前に名乗っている。
一応、ストーリー自体は古典落語のそれではあるが、古典らしさはまるで感じないし、舞台も雷門とは言ってない。
生き倒れなのになんで死んでんですか。
死んでるのを行き倒れっていうんだよ。覚えておきなさい。
いつから?
いつからって…と困惑する町役人。あと、「誰が決めた」っていう追及もあった。
さらに八っつぁん、死体の顔見て、この人はあたしかもしれません。
なに言ってるんだよ。お前さんは生きてるだろ。
でも、死にたいと思ったことはあります。
死にたいと思っても、がんばって生きてるじゃないか。
八っつぁん自身が昨日一杯やって、この場所から先の記憶ないのだそうだ。ここで死んじゃったのかもしれません。
粗忽長屋だが、熊の野郎も長屋も出てこない。ウルトラ粗忽の八っつぁんと、会話が通じなくて困ってる町役人との会話がこの噺のすべてである。
人間の遺伝子はほぼみな同じだというマクラも、ちゃんと機能していたからすごい。
この行き倒れの人とお前さん、顔が違うだろと言われても、動じない八っつぁん。
世の中、同じ顔の人間が3人いると言います。ということは、違う顔の同じ人間も3人いるんじゃないでしょうか。
ますます意味のわからない町役人。
シュールさを狙った噺に見えるが、実のところストレートに面白い。
面白さを感じない人もいたのは想像がつくが、私にとってはたまらないものだった。
池袋の新作まつりやプークなら大ウケ間違いなし。
多くの古典落語家によって解体再構築されてきた粗忽長屋だが、青森さんにより完全にバラバラにされ新たに組み上がっているのだった。
古典の人にはできないやり方。
ちなみに、聴いた感想としては完全に新作落語。
青森さんの影響は非常に強い。
吉緑さんやりにくくなかったか。
客の私にも影響が。
厩火事の「息をもつかずに36ぺん皿はと言ったそうだ」という普通のセリフに、「誰が数えたんだ」と脳内でツッコミ入れてしまった。
青森さんは結局25分くらいはやっていたようだ。
トリは今春真打昇進の柳家吉緑さん。
来月柳田格之進を下ろすんですが、まだ仕上がってません、焦ってます。
なので楽屋でもブツブツ稽古してました。
隣で青森さんも、長州力のモノマネの稽古してました。
こういうことだったんですね。
真打昇進が決まりまして(拍手)。
チケット発売日はまだなんですが、我々新真打、落語協会から手売りのチケット渡されてます。
SNSで知らせたらダメなんです。お客さんにこっそり売るものです。
その数500枚。これさばかなきゃなりません。
今日もこっそりお売りしますので、欲しい方はこっそりお声掛けてください。
いらない方はお帰りいただいて。
披露目でお客さんが集まるかは一生の問題なんですよ。
集まらないと、その後二度と寄席に上がれません。鈴本ですとか。
昇進前後は大変だ。
その間にネタ下ろしもして。
吉緑さんはさがみはらと北とぴあの2冠で、NHK新人落語大賞も経験した。実力だけなら抜けている。
それでもやっぱり大変だ。
ちゃぶ台を一度ひっくり返してみたいお父さんのマクラ。
でも片付けなきゃいけないから我慢する。そしたらかみさんに先にひっくり返される。
このマクラ、たぶん聴いたことある。2021年にもこのマクラから厩火事に入っていったはずだ。
当時より進化していたと思う。
噺のまとまりが。
厩火事は、お咲さんがやたらと茶々を入れる噺。
トウモロコシに幸四郎に猿に、マジメな相談しにきてよくもこれだけふざけているものだ。現実に向かいあえなくてつい、なんだろうけど。
噺自体にトラップが仕掛けられている。
ちゃんとつまらない茶々を描写しつつ、しっかり客をつなぎとめておかないといけない。若手には難しい。
どうするか。一線を越えたうざい茶々を、旦那の反応を使ってしっかり吸収するのだ。
懐の広い旦那ですらうざがるボケはやり過ぎであり、客からするとここで安心するのだった。
吉緑さんそもそもそんなにうざボケを強調せず、できるだけサラッと語っているのも工夫。
旦那の、「頼むから別れてください」なんてセリフも。
非常に聴きやすく、まとまった一席。
引き算の美学。
披露目のチケットは買わなかったが、でも行きたいと思っている。
昼の巣鴨、満足しました。