古今亭駒治師から、久々に知らない噺を聴けた。それも鉄道落語。
本編は「マナー車掌」。
発車間際の中央線に駆け込み乗車する客がいる。
よかった、間に合った。ここで乗り遅れるとこの先全部予定がダメになる。
喜んでいたら車掌の駒治師が、マイクを手で覆い口を近づけて車内放送。「駆け込み乗車はおやめください」。
ここまでは、現実の東京でよく見る場面。この先が違う。
◯号車に駆け込んだスーツのお客さま、駆け込み乗車はおやめください。私にも苦い経験がございます。あれはまだ若い頃でした。階段を急いで下りてきたお客様を待ってさしあげたのです。すこしぐらいいいだろうという親切で。しかし後日、乗り合わせた別のお客さまからお手紙をいただきました。
「あの電車がわずかに遅れたため、その後の予定が全部狂い、私は祖父の臨終に間に合わなかったのです。祖父は私が駆けつける1分前に息を引き取りました」
マナー車掌は、お客にマナーを徹底するためあちこちで活躍する流しの車掌。車内のあらゆる客を見逃さない。脚を広げて座るジジイであるとか。
マナー車掌に恥をかかされたお客たちが団結し、被害者の会を結成してマナー車掌に立ち向かう。
ある日のマナー車掌は京王線の各駅停車八王子行に乗車している。
新宿駅から始まって、各駅の言い立て入り。途中で中手が入ってしまい、「拍手はまだ要らない」と駒治師。
途中で手を叩かれたのでどこまでやったかわからなくなっちゃったと、調布から再度始めて八王子まで。改めて大きな拍手が。
駒治節全開の実にくだらない噺。
どの噺も方法論は同一なのに、駒治師の場合はむしろこれが快になってしまう。
世界を壊す方向に意図的に進んで、これにより逆に全体の整合性を取るという、奇跡的な手法である。
脚を広げて座る客に、開いた窓からやぶさめの矢が飛んできて股間を撃ち抜くとか、最前列で景色を見たいのに戦闘が女性専用車になってしまい、やむなく女装して乗っていたら女装が趣味になってしまってありがとうとか。
どうでもいいストーリーは、例によって大団円を迎える。
駒治師のふざけたギャグの作り込みは、落語のものではない。コント等のお笑いに親和性の高いもの。
とはいうものの、ちゃんと事実として新作落語の可能性を広げている。見事です。
仲入りは柳家甚語楼師。
上手い人だが、2年ぶり。その前も何年も空いていた。今日の期待。
そそっかしい人についてのマクラ。
メガネを額に載せてメガネを探す人。どうしてこんなに見づらいんだろう。メガネを掛けていないからだ。そこでメガネを掛けてメガネをなおも探し続ける。
「粗忽」という言葉を使わないまま、お武家のそそっかしい人へ。本編には出てくるけども。
お武家の粗忽ものといえば、粗忽の使者か、この「松曳き」。
松曳き、珍品とまでもいえない噺だが、そんなには掛からない。でも私は、この噺のスタンダードぽさがむしろ大好きで。
上方落語にも移入すればいいのになとも思っている。
松曳きはとても難しい噺だとギョーカイでは言うのだが、本当にそうなのかな? 私は難しそうな噺だと感じたことはあまりない。
この日の甚語楼師みたいに軽く軽く描けばいいのではないのかな。
まあ、軽く描くのが簡単なんてことはないわけだが。
粗忽噺では松曳きは粗忽長屋と並んで難しいというのだが、ずっとメジャーな粗忽長屋のほうがはるかに難しそうに思える。あちらは、粗忽のハチクマたちの感覚自体をつなぎとめておかないといけないんだから大変だ。
漫才の悪い影響で、ボケに対するツッコミが必ず求められたひとつの時代があった。その時代、松曳きは確かに難しかったろう。まともな人が出てこないんだから。
でも現代では、ボケッぱなしが許される。むしろ無粋なツッコミが噺を壊す時代だと思う。
そんな時代に最適の噺。
甚語楼師、ボケっぱなしが本当に上手い。
松の植え替えを殿に訊かれている三太夫さん、餅は餅屋と申しますと言って、出入りの餅屋を呼びにいく。そんな職人は来てませんが。
この噺でいちばんまともなのが植木屋の八五郎。餅屋はおらぬかと三太夫さんがやってきて、鬱陶しいので隠れてしまう。
すると三太夫、屋敷内で行方しれずになった八五郎捜索の命を出す。慌てて出てくる八五郎。
「おお八五郎、無事であったか」
このクスグリは始めて聴いたが、たまらない。
そのかわり、「珍しいの。親と同名であるか」というくだりはない。
甚語楼師と早稲田の同級生、白酒師の松曳きも面白い。殿さまを重度記憶喪失にして破天荒。
甚語楼師はもうちょっと常識寄りなのだが、この穏やかさに似合わない言動がやはりたまらない。穏やかに描くからこそ、ボケっぱなしワールドが炸裂するのだ。
宴会が始まったのに、三太夫、早飛脚の内容を伝えに再度殿のもとへ出向き、「お人払いを」。
殿からお人払いの指示がくだされるが、三太夫まで追い出されそうになっている。
先の八五郎捜索クスグリもそうだが、師のオリジナルなのだろうか。
宴会を楽しんでる植木屋たちが追払われる描写はない。
粗忽でもって、殿の姉上と、三太夫の姉上とを取り違えて死去のお知らせを申し上げてしまう。
三太夫は切腹申し付けられるが、その三太夫がとぼとぼ下がっていったあとの絶妙の間がまたしてもたまらない。
楽しい一席でした。

