思い出したので書くが、駒治師、ベテランみたいに湯呑みを出していた。
結局、一度も手を付けなかったけど。喉の調子でも悪かったのか。
仲入り休憩後のクイツキは春風亭一蔵師。
3年ぶり。
真打昇進前に東大島で聴いた「寝床」にいささかうんざりしてしまい、行くつもりだった披露目をパスしてしまった。
もっとも、一緒に出ていた小辰(現・入船亭扇橋)さんはよかったのに、この人のも結局行かなかったけど。
とはいえ一蔵師、もともと嫌いなわけではないので、本日クイツキに入っていることへの拒否反応はもうない。
イメージより随分痩せたなと思う。
「趣味はダイエット、特技はリバウンド」と挨拶。ああ、今痩せてるんですね。
ちなみに一蔵師、やたらと咳き込んでいた。
コロナの頃は飲み会禁止。ようやく解禁されたので嬉しくて仕方ない。
高級イタリア料理のサイゼリヤに、後輩10人連れていった。1リットルのワインが千円だ。
ただし料理はハンバーグしか認めない。そんなことなかろうが。
噺家10人、うるさいので若いニイチャンたちに睨まれた。一触即発。
そこに「足立区出身だから修羅場に慣れている(自称)」林家なな子さんが仲裁に入る。
働いてもいないくせにとたしなめられてニイチャンたち、「働いてるのがそんなに偉いのか。だいたいあんたたち何やってるんだ」。
あたしたちは落語家だ。
ニイチャンたちの中に、ひとりだけ落語界に詳しいやつがいた。「あ、こないだ抜擢された」。
それはつる子だ。
結局、ニイチャンたちを交えてみんなで楽しく飲んで、一蔵師が全部持ったという。
「仲裁」でつながっているらしい堪忍袋へ。
昔からあるにしても、最近落語協会でもよく出るね。急にのしてきた噺としては、「洒落番頭」と双璧ではないかと。
落語協会でも、だいたいが遊雀型に見える。まあ、遊雀師のものも出どころの竜楽師によく似てるけど。
あまり声を張らず(出なかったのかもしれないが)、低いトーンで進めるのがいい感じ。
こんなトーンでやったほうが、かえってこの人のアクの強さがにじみ出ていいのでは。
もともと強烈な噺だが、それにしてはクスグリも穏やかだ。これも意外なぐらいマッチしている。
客席も盛り上がったし、よかったよかった。
ヒザ前は古今亭文菊師。
この人もなんと4年ぶり。巣鴨スタジオフォーの四の日にご無沙汰しているのが、そのままそっくり空白期間となっている。
四の日寄席は、今月久々に出かけて時間を間違え断念したばかり。今後取り返していきます。
落語というものは、そんなに笑うもんじゃありません。くすっとするのが上質なんです。
と、一蔵師の爆笑高座をいじる。
落語というものは背景に画を浮かばせるものです。ただあたしの場合、お客さんに言われるの。文菊さんの高座を見ても、後ろにお寺しか浮かんで来ないって。
長屋というものは二軒長屋から長屋なんです。
向かい合わせに二軒長屋がふたつありまして、と安兵衛狐。
これは古今亭の噺だろう。上方では天神山。
これは絶品だった。
ヒザ前というものは、トリを立てるもの。とはいえ、国立の場合は時間も長いので、本当に軽い噺をするわけでもない。
安兵衛狐はこの出番に最適だと思う。
私、この噺も好きなのだ。人生をテキトーに生きる人たちの噺で。
二軒長屋に済む偏屈ふたり。このふたりは仲良しだが、向かいの二軒は常識人なので気が合わない。
二軒長屋の源兵衛は幽霊を嫁にして、もうひとり安兵衛は狐を嫁にする。のんきだよね。
幽霊でも狐でも、いい女だしいいやと言うふたり。
それほど掛からないのは、簡単ではないからか。
このテキトーな、しかも上方色濃厚な噺を楽しく語れる人がどのぐらいいるだろう。
お向かいの二人に「酒ぶらさげて、花見かい」と訊かれて、偏屈だから「いや、花見はつまらねえ。俺は墓見に行く」という源兵衛。
女の墓を見つけて、その前で一杯やってみると意外と楽しい。
しゃれこうべがむき出しなのを気の毒がって供養してやると、幽霊がやってくる。
安兵衛が真似してしゃれこうべを探しに行くが、たまたま猟師に捕まった狐を助けてやって、これが嫁になる。
たまらない。
以前こみち師から聴いたのもそうだったが、文菊師も、狐の嫁さんが向かいの二人のおかげで出ていってしまうくだりはない。
ないほうがいい。
ヒザの猫八師で少々寝てしまった。
フクロテナガザルの鳴きマネが出たらしい。トリの彦いち師が、東山動物園に行ったら出会えたと語っていた。
さてトリの林家彦いち師は、コロナ禍の最中開けていた寄席に、当時の西村大臣が視察に来た話。
これ聴いたことがあるが、今回はフルバージョンだったみたい。そんなのがあるのだ。
誰に当たるかわからないのに、たまたまアサダ二世先生の高座にやってきた。その数日後、都内の寄席が全部閉まりました。
ネタは「という」。
うーん。別に悪くないのだけども、この噺は残念ながら、繰り返し聴くと楽しみが減る性質らしい。
わかっていても「という話はどう」で盛り上がるのだが、完全に流れがわかっていると、その楽しみが。
なにしろ日本の話芸で出て、繰り返し聴いたものだから。
繰り返し聴いても楽しめるためには、劇中の各エピソードがさらに楽しくないといけないみたい。
初めて聴く人にとっては、これは別に必須の要素ではないのだけども。
団体さんは新作落語を聴きにきたわけでもないようで、ややそれ気味だったかも。
前半の新作はウケていたが、ちょっと楽しみ方が難しいか。
まあ、こういうこともある。

