国立演芸場寄席@紀尾井小ホール2 その3(入船亭扇橋「野ざらし」)

先代扇橋

仲入りは春風亭柳朝師。

桜が済んだら、もう幽霊の時季か。
3年前に聴いた、お菊の皿だった。
マクラで語る、彦六の正蔵の怪談噺の様子と、前座じぶんの古今亭菊太楼師のチョンボも同じ。
執念妄念。大阪弁の幽霊は似合わない。
柳朝師のこの噺は、古今亭から来てるようだ。
ただ、客が押しかけて嬉しいお菊さんが「お菊、うれぴー」って言ってるのは小朝師からでしょうが。
うれPは正直どうかと思うけど。

ストーリーは変わっていないお菊の皿だが、妙にスピードアップしていた気がする。
そして、スピードアップに口がやや追いついてないのではないかと。
それでも、スピーディな語りを新たに作り上げようとしているのではないかな。

この古今亭から来てるらしい型は、「そんなに客入れたらもう逃げられないよ」と感じる部分がないところがいい。
ギャグに凝り過ぎるゆえ、途中で落語の客が我に返ってしまうものも結構あるよね。

仲入り後のクイツキは入船亭扇橋師。
私は昇進以来、二度目。
二ツ目、小辰時代のほうがずっと聴いている。

「馬風師匠っていうヤクザがいますが」というのは覚えているけど、マクラのどんな脈絡だったか。
ちなみにこのあと、「あれ、あんまりウケないですね。ここ本気にされるとやりにくいんですが」。
まあ確かに、「馬風=ヤクザ」自体わりと普通のネタ。

あと、マニアの集う池袋演芸場を寄席の最下層といじる。
「ひどいこと言ってるようですが、私は隣の大塚で、池袋をまぶしく眺めてたクチですから」
池袋演芸場は、手前の交番で訊いても場所がわからない。地下にあるので勇気がいるスポット。

釣りのマクラ(ずっと眺めてる男)を振って、野ざらし。
なんとなく、道具の手入れの話から「馬のす」に入りそうなイメージだった。持ってたとして、クイツキで地味な馬のすもなかろうが。
野ざらしといえば、師匠・扇辰の十八番。

扇橋師、乱暴な八っつぁんに全力投球。
先生の「つかつかつか」がないのがいいと思った。ここ抜く人はそうそういない。
笑いは取れるけど、先生がここだけボケて八っつぁんがツッコミに回るわけで、あまりつながりよくないよなと常に思っている。
ちなみにその前の先生の紙入れ懐にしまうシーンで、「お前だな。岩田の隠居の柱時計を懐にねじ込んだのは」というのもなかった。
噺を常に改良していく人はいい。

ところで野ざらし、お菊の皿とばっちりついてるんじゃないのか? 「いい女だったら幽霊でもいい」というテーマが同一だけど?
扇橋師もお菊の皿に触れてたけども。

さて、非常によかったのだけど。
釣りのシーンでもって、八っつぁんから釣り人たちに描写が移る際、演者の生真面目さが出てしまうのかなと。
ここで私も、ちょっと我に返っちゃう。
昨日取り上げた風藤松原の漫才を思い起こす。
ツッコミ風藤は別に生真面目なのではない。クレージーなボケを最速でこちらにつなぐために緩いツッコミを繰り出してると思うのだ。
師匠・扇辰の野ざらしは、ギャラリーのほうもやっぱりどこか緩い。だから客が我に返ったりはしない。
サイサイ節から、針取っちゃったまで。

ヒザ前は林家たけ平師。
なんと6年ぶりだ。その6年前も、黒門亭にネタ出しのお札はがしを聴きにいったものであり、特殊な高座。
TVKでやらなくなったのでとんとご無沙汰だが、浅草お茶の間寄席にたけ平師は繰り返し登場していた。
その際の客いじりの作法が好きじゃなくて。
「もっと参加してもらっていいですか」「もっと僕とお話しませんか」という。
なんでこれが嫌なのかつらつら考えると、結局こういうセリフを振るためには、予定調和として面白くないボケを機械的に出さないといけないからだろう。
だが月日が経って、たけ平師にも思うところがあるのだろう。変な客いじりは一掃されていた。
いや、いじることはいじるのだけども、もっとあたりが柔らかいので不快感はまるでない。
いじりの内容は忘れたが、覚えてたところでどうというものでもなかろう。

ウォームアップ漫談から、茄子娘に進む。
途中で、「あ、羽織脱ぐの忘れてた」だって。着たままだと、ラブシーンが描けない。
茄子娘も入船亭で聴くしっとりとしたものではなくて、地噺にしてある。
自分で作ったのかな。
茄子娘は芸協や円楽党にもあって、そちらは爆笑系である。でもたけ平師のスタイルはどこにもない。
地噺だから、展開にいろいろツッコんで進んでいく。
出身はどこだ、那須塩原だなんてのは地噺にしてあるとやりやすい。

続きます。