竹千代さんのマクラ、というか漫談であるが、実に見事な構成。
二つの「スネ」に関する別個の話を結びつけるのだから、これはかなり作り込んで、稽古もしないと出せないだろう。
漫談は作り込むと予定調和になってワクワク感が薄れたりする。だから仕上げすぎないところでまとめるのだと想像する。
続いて桂しん華さん。
2年前に、御茶ノ水太陽で聴いて以来で、ちょっと間が空いた。
また面白くなっていたし、貴重な話も聴けたのだった。
ポワンとしているお姉さんなのは知っているが、2年経ってみると、天然なのか演技なのか、その境界線がますます見えなくなっていた。
いずれにしても、自分の一番面白い語りが自然に出るようになったのではないか。
そして、先代小さんの芸談を思い出したのだった。
「長短」の長さんは、ことさらにゆっくり喋らなくても、セリフと所作とをずらすとスローモーに見えるのだと。
しん華さん、これだなと。
誰か、しん華モデルの長短やらないかな。
桂しん華です。初めまして(誰に?)。
楽屋で、鳥居強右衛門さんを調べました。磔の絵も見ました。
今晩夢に出てきそうな絵です。
私スピリチュアルは信じてないんですけども、前世がありまして。
前世では、4回ぐらい坊主頭になりました。
丸坊主はツラいだろうと思われるかもしれませんが、意外と快適でした。
一度眉毛まで剃らされたときは嫌でしたけど。
坊主頭は風を感じます。季節の変わり目もわかります。
それに、入門前は着色しすぎで髪の毛が最も悪い状態にあったんですが、坊主にすると不思議なもので、リセットされるんですね。
今は髪の毛はツヤもあって健康的です。
なんのことを語ってるのかわからないお客もいたと思う。
前世とは、つまり前の名前ということである。
しかし女性だからって、女性の師匠のところに入ればいいというものではない。それがよくわかるエピソードだ。
しん華さんは、緩い伸治門下の現世がよほど居心地いいのだろう。
提灯の噺しようと思ってたんですけど、竹千代アニさんの毛の話聞いてたら、どうしても喋りたくなりました。
提灯の噺というのは、提灯屋なんでしょうな。
首提灯ってことはないだろう。
これから夏になると怪談が掛かりますね。私はやりませんけど。
四谷のほうの神社の噺です。四谷怪談じゃないですよ。
四ツ谷駅は今や繁華なところです。エスカレーターもエレベーターもあります。
江戸時代はそんなものはなく、かいだんだけでした。
四谷の神社(於岩稲荷田宮神社)は、四谷怪談を掛けるときは噺家は必ず参詣します。
なぜか桃太郎師匠がよく行ってます。
私はうっかりが多いので、よく神社で拝んでます。
大山詣りの大山に行ったときです。まだ落語と出会う前でした。
ケーブルカーを途中下車して、大山寺を拝みに行きました。うっかりが治るように祈りまして。
お財布からお金を出したのに、お財布のほうをお賽銭箱に投げ入れてしまいました。落語にもこんなのがありますけど、私はお金と財布を両方出してからお財布を投げちゃったので、落語よりましだと思います。
暗くなってきたので帰ろうと思ったら、ケーブルカーが山頂のほうに向かいました。うっかりのご利益はなかったみたいです。
2年前にも聴いた、ぞろぞろ。
四谷怪談や大山の話もそこで聴いた。
ぞろぞろは誰がやっても、わりとしっとりした地味な噺。
だがまったく異なる道を行く。
スキあらばくだらないシャレを言い放つ婆さんが最強。まんが日本昔ばなしの市原悦子みたいな語り。
婆さんの語るエピソードとして、毎日念仏を唱えていたが地獄行きになった女性の話。
上の空でやってるようなのは信心じゃないのだ。
なんで婆さん、地獄の話なんか知ってるんだ。
地獄耳ですから。
ストーリーなど無関係に、実にエキサイティング。こんなぞろぞろはない。
爆笑しながら、この楽しい一席を楽しめない感性も同時に理解した。
こんなの古典落語か?という。
だが、しん華さんの高座は拒否反応のさらに先にあるようである。奥座敷にシンカワールドが広がっている。
そしてこの芸風、芸術協会のほうがナチュラルにしっくり来るのだった。
2年前に聴いたのより、ぐんといい仕上がりだった。
ただ、演者の力だけでは完成しそうにない。客のアジャスト力も求められる。
アジャストした私には、実に面白かった。
昨日書いた通り、2席面白すぎて疲労困憊。
夕方フラフラだったもの。
トリのらっ好さんには、できれば人情噺を掛けて欲しかったなんて思う。
疲れを無視すれば、トリもいい一席でした。

