私の好きな古典落語…「松曳き」が暫定1位

2日休んでしまいました。ネタ切れです。
せっかく夜解放されたので土曜の夜出かけるつもりだったのだが、やめちゃった。
ちなみに珍しく浅草(主任・伸衛門)に行くつもりでした。その他鈴本(主任・やまと)や、月刊少年ワサビなども検討。

ネタがなくても日曜日は、つる子師の「箱入り」と、そして笑点晴の輔師の記事に多数訪問がありました。

さて当ブログ、古典落語の演目でもってランキング作ったりとか、そういうことをしていないなと。
おすすめ演目ランキングなど、需要の存在はよくわかる。需要がわかっている以上、アクセス拾いに行けなくはない。
でもそもそも私、「こちらから演目を探しにいく」という聴き方してないもんで。
「現場一本で音源の落語を聴かない」なんてことはない。だが、こちらから演目をつかまえに行くことがないのである。
だから「おすすめ演目」なんて挙げられないのだ。そのかわり「好きな古典落語」を取り上げてみます。

好きな演目、となると大ネタ、トリネタは入らない。
というわけで、いつも最大限弁護している人情噺も外れることになる。
寄席の小品を取り上げたい。
かと言って前座噺でもない。たびたび聴いても飽きないという面白さはあるけれど。
よく聴く演目も、前座噺と同様挙げたくない。
色っぽい噺の「宮戸川」なんてかなり好きなほうだが、ユニーク演出を競い合う噺になっちゃってる。
「半七を狙ってるお花」というのが主流になってきたが、こうなるともうこれ以上の工夫ないですね。

与太郎ものの「かぼちゃ屋」などかなり好き。
これにしてもいいぐらいだが、いったん先に。

それから廓噺。
「五人廻し」がかなり好き。でも、最初に外したトリネタですなこれは。

五人廻しもそうだが、「麻のれん」とか「雪とん」(トリネタ)など扇辰師が手がけている演目は、噺自体好きなものが多い。
でも珍品はどうしても、珍しさそのものに着目してしまうから、やはりやめる。
そもそも聴く際も心構えが違いますしね。

新作落語を取り上げる際によく「飛躍」について述べている。
現実を凌駕する人物、事象があると噺の価値が上がると考えている。
そして、古典落語でも飛躍は大事な要素。
酔っぱらいや与太郎、地獄なんていうアイテムがあることで噺の価値が高まる。
それから人情噺はトリネタだから除外したものの、「人情」自体はなお重大な要素。

だんだん好きな噺が煮詰まってきた。というか、タイトルですでにネタバレしてますが。
古典落語の重要な飛躍アイテムのひとつが、粗忽。
そして、わりと人情も入っている。
これが松曳き。

粗忽の殿さまに粗忽の家老。
お庭の松を動かしたいが、枯らしてしまうとご先祖に申しわけがない。
餅は餅屋と申します。植木屋を呼んで尋ねましょう。
粗忽の家老、三太夫は早速餅屋を呼びにいく。
植木屋の方もまた始まったと思ってるが、面倒なので返事をしない。でもますます混沌の極み。
植木屋を呼んで松を曳く太鼓判をもらい、殿さま嬉しくなって植木屋たちと一緒に宴会を催す。
そこへ国許から早馬。殿のお姉上が死去されたという。
三太夫慌てて殿に申し上げるが、実は殿の姉上ではなく、「貴殿」つまり三太夫の姉が死去したのだ。
間違いに気づき誤りを殿に申し上げると切腹申しつかる。
しかし間違いはまだあった。

ちょっとマイナー気味の噺であるのが、やや気が引ける点。
実際Yahoo!ショッピングで検索しても、現役で白酒師、故人で談志のものしかヒットしない。
だからそもそも「初心者におすすめ」にも該当しない。
でも私は「珍品」とは認識していない。落語世界の芯をついた噺だと思っている。
「粗忽だらけのお武家さま」という設定は変わっているが、お武家だからって、庶民と感覚は一緒。

サゲがやや強い。
落語のサゲは重要でないと常日頃力説している身からすると、強いサゲの噺を古典落語のベストにするのもやや気が引ける。
でも、意外と緩くもある。序盤からボケ倒してきた噺のトドメという緩さ。

談志にとって松曳きは、イリュージョンの話だったはず。
イリュージョンとは?
最近談志のいうイリュージョンがわかってきた気がする。
日本語に翻訳すると、「登場人物の立ち位置自体がグニャリ歪む感覚」ということだと理解している。
もとより適当な言語化ができないからイリュージョンと言っていたのだろう。
だからこちらでどう理解しようが、不正解はないはず。
まあ、私がよく使う「飛躍」と近しい概念。

粗忽の使者も、粗忽のお武家の噺。
ただ、松曳きは集団粗忽なので、よりインパクトが強い。
お笑いの世界でも、落語でも、最近は「ボケっぱなし」が許される時代。
いちいちしっかりツッコまなくていい時代に、松曳きはぴったり。

そしてなまじしょっちゅう掛けられる噺でもないので、演出がまだまだ固まってないのもいいところ。
噺が紋切り型でなくていい。

今年聴いた柳家甚語楼師の「松曳き」は実に良かった。
最近初めて師の会に出向いたが、松曳きのおかげです。
そして行った会もよかった。

しかし間抜けな演題ではあるな。
「松を曳きたい殿さまの噺」ということでしょう。落語の演題が符丁だということを端的に物語っている。

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