林家はな平お庭でらくご2(上・松竹梅)

梶原いろは亭がハネ、今度は梶原電停から都電に乗って終点、早稲田へ。
都電の沿線は落語が盛ん。
いろは亭のトークに出てきたスタジオフォーもあり、ばばん場もあり。北とぴあも町屋のホールもあり。まだある。
都電という庶民の足が、本質的に落語と親和性が高いのではないかと。
都電での掛け持ち、なんとなく粋に感じて一度やってみたかった。

目的地は文京区の持ってる細川肥後庭園。
その建物、松聲閣である。
林家はな平師の「お庭でらくご」。2度目の参加。
前回は電車賃節約のため高田馬場駅から歩いて往復したが、季節は梅の見頃であった。この暑い日に同じことやったら干からびてしまう。
交通不便な立地だが、早稲田電停からは比較的近い。

電車に乗って、いろは亭の初日の記事をスマホで書いていたが、開演までにギリギリ仕上がらなかった。
はな平師の終演後、広いお庭の日陰に腰掛けて、10分で書き上げました。

松竹梅
片棒
甲府い

盛況であるが、もとより20人も入れるような部屋ではない。
はな平師登場。お庭を背にしているので後光が差す。
お庭で落語と申しまして。お庭でやってると思われることもありますが、部屋の中でこうしてお庭を背にしてやります。
…近いでしょ? お客さんも緊張するかもしれませんが、私のほうが緊張するんですね。それじゃいけませんが。

近いでしょ?はこの交通不便な場所を皮肉ってるのかと思ったら、高座とお客との距離だった。
交通の不便さはあとで出てました。

はな平師は芸術祭優秀賞受賞の実力者であり、私も好んで聴く。
それでも、「渋めの、玄人好みの人だ」という印象は依然強かった。
だがこの日の3席は、極めてエンターテインメント性の高い、どんな角度から見ても面白さ濃厚の内容だった。
驚いた。
例えば渋谷らくごからたびたび呼ばれそうな、強いエンタメ性を感じたのだ。
とはいえ、玄人好み的な側面もしっかり引き続きあって。
要はすごい人なのです。これから人気も右肩上がりのはず。
そのすごさが、ごく小さな手作りの会で発揮され、非常に嬉しい。

今月ははな平師、池袋下席のトリ。これも行かないと。
そして8月は、このお庭でらくごも、3日間連続でやるという。

我々、講演なんて仕事もあります。
講演でついでに一席、は問題ありません。ただ、結婚式で一席なんて頼まれることがありますが、これはさすがにやりづらいですね。
私のご贔屓の方は楽しんでくださいますけど、一般人にはポカンですから。
一度、結婚式の媒酌人の方から依頼されたことあるんです。落語を一席やって欲しい、それも芝浜を。
さすがに断りました。30分も時間いただくわけにいきません。
小噺で勘弁してもらいました。

婚礼の余興の話なので、高砂やかと思ったら、松竹梅だった。
高砂やはよく掛かるが、松竹梅はめったに出ない。楽しい噺なのに、不思議でならない。
私はむしろ松竹梅が好き。そして、寄席でたった一度だけ聴いた松竹梅が、はな平師のものなのだった。
これは結構嬉しい。

実に軽い一席。
これ聴いてたちまち、ああ今日来て本当によかったと思ったもの。
わざとらしい盛り上がりを排除した、静かな落語がビンビン響く。

はな平師の松竹梅は、昔テレビで流れた柳家喬太郎師のものに非常に似ていて、教わったのではないかと思う。
あの業界イチ派手な師匠から教わる? でも喬太郎師の松竹梅自体そもそも、実に淡い味わいなのである。
軽いギャグは、隠居のかみさんに松竹梅の3人が「婆さん」と呼びかけること、それから順序よく並ばねえとチクショウバイになるじゃねえかというくだり。

松竹梅の3人が披露する余興はこれだけ。
松「なったなったジャになった。当家の婿どのジャになった」
竹「なんのジャになられた」
梅「長者になられた」

たったこれだけなのに最後の梅さんは、大蛇、番茶、亡者と間違え放題。
松さん竹さんも、間違えている梅さんに正解を教えないところが不器用。
何度繰り返しても、稽古してないおかげで正解が頭に入っていない梅さんではどうにもならぬ。

松さん不器用な証拠に、抑揚をつけずに語ることを隠居に勧められる。それが一番いいデキだって。
そして竹さんは音曲を稽古しているので気取って「なんのジャになられた」と毎回唸っているのも地味に楽しい。
ちなみに婚礼はしくじりのおかげで大盛り上がりだったんだそうで。梅さんをパーティクラッシャーにして終えないところに、はな平師の優しさが感じられる。

一席終えてはな平師、この噺もよくやったんですが最近ご無沙汰でしたとのこと。
だからこの会で掛けるのだろう。

続きます。

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