林家はな平お庭でらくご2(下・「片棒」「甲府い」)

松竹梅、実にシンプルかつ素敵な一席。
自己解説の後、今度は三ぼうを振る。
お知り合いに◯◯ぼうの方がいたらお詫びします。
ケチから、六日知らず。
本編は片棒。

片棒という噺、私の大好物である。
聴く片棒のほぼすべては、次男の妄想祭りを親父が「うるせー馬鹿!」と怒鳴るのがウケのピーク。
内容いい悪いに関わらずそう。
なにか違うと具体的にそう考えていたわけでもない。だがいろいろ聴くうちに、私の中にも徐々に違和感が積み重なってきていたようだ。
緻密に構成を考えると、次男で盛り上がりすぎて三男のくだりで気が抜けてしまうのはよくないのでは?
はな平師の片棒を聴き、私の今までのモヤモヤが具体化され、そして瞬時に解決した。
次男のくだりをしっかり楽しく描き、しかし爆発までさせなければいい。それは、親父のツッコミのさじ加減で可能なのだ。
ウケの即物的な誘惑に駆られないことで、スムーズに終盤まで進める。
噺をトータルに捉える、見事な采配。

それとは別に、もっと明確に違和感を持っていた部分がある。三男のくだりにおけるクスグリだ。
ブログにも書いている。「親こうこう」「臭いものに蓋」のクスグリ。
これ必要かなと。とりわけ次男の盛り上がりが大きければ大きいほど、こんなところで引っかからず速やかに着地させたほうがいいんじゃないかと。

はな平師は、このクスグリに明確に問題意識を持っているらしい。
次男のくだりを抑えめに進めたため、ここで盛り上げて許されるにも関わらず。
「お前さん、親こうこうのシャレだね」
「いえ、臭い物に蓋です」
実に軽くてつっかからない。
落語のクスグリなんて、本当に強調するもんじゃないなと思う。

噺の冒頭、番頭さんは余計なことは言わない。ここで息子たちがいかにどうしようもないかを強調し、ウケ狙いに走る方法論もあるけど。
そして次の長男のくだり。ここはどの演者であっても、力をMAXにせずゆっくり進める場面。
この長男のくだりが、はな平師はいきなり楽しかった。
先の松竹梅に似た、ぬるま湯に浸り続ける世界。

そして次男の提唱する未曾有の色っぽいとむらい。
ここはしっかり、たっぷり笑いを取りにいく。
次男の畳み掛ける壮大なスケールで繰り広げられるとむらい模様は、当たり前なのだが親父は知らない。
でも、予定調和的なセリフで語ると、どうしても親父が、先を知ってツッコむように見えてしまう。
なにしろ、親父の前にセリフを管理する演者が知ってるのだから。
でもはな平師の噺、しっかりその先に意外性があるではないか。客だって知ってるのだが、次どうなるかなと楽しく聴ける。

ロボット的、親父からくりも大爆笑。やり過ぎないのだけど。
そして、「うるせー馬鹿」をピークにしない効能もすぐ知れる。
その後続く弔辞が、しっかり楽しいのだ。
落語の客は、倹約を旨とし、粗食に甘んじ、ただ預金通帳の額が増えるのを唯一の娯楽としていたもののついに栄養失調であの世の客となる親父の一代記を、しっかり味わい楽しんでいる。
普通は、この静かなシーンをもう一度花火で盛り上げてから、うるせー馬鹿になる。もう花火は出ていて場面がスムーズだ。

三男のくだり、菜漬けの樽に押し込められる予定のおやじが、「もう臭いも感じないしな」と納得するシーンがないのは新鮮。
現実との接点によりウケてるうちは、ナンセンスが弱いということではないかな。
長男から三男まで、トーンの上げ下げはあっても、すべてがすっとぼけていた。
片棒の最高傑作じゃないかと思った。

最後は人の縁を振る。
甲府いだが、見たことのないスタイル。
完全なる滑稽噺である。

甲府いは、いたずらにクスグリを増やしたら壊れる噺であろう。
ギャグはあっても、基本いい噺。
いや、いい噺であるのは間違いないし、そして大きく笑わせる噺でもない。
だが骨格が滑稽噺になっててびっくり。

一席終えてから、この噺はもう少し長い時間でやったほうがいいのですがと語っていた。
まあ、トリネタですからね。
この日だってトリだが、時間は20分ぐらいか。実にコンパクト。
コンパクトだがダイジェスト人情噺なんかではなくて、成り立っている。滑稽噺として。
国立演芸場寄席のヒザ前だったらできそう。
初めて見るいい形だ。そしてどうやら、長さを調整するのは自由自在らしい。

冒頭、いきなり人さまの店先でおからに手を突っ込んで殴られる善吉の描写から。これでもう、5分ぐらい縮めている。
そこからあっという間に奉公に入る。夜中の願掛けはなし。
唯一、落語らしいのは善吉のもの売りシーン。町内のおかみさんたちが口々に噂している。
善吉もいい男であり、子供にも優しい。

そして早速婿養子の話。ここはしっかりウケどころ。
前半をたっぷりやってれば、善吉がこの話をいかにありがたがっているのかが描けるが、あっさり。
豆腐屋の主人の勘違いがおかしいが、でもいつまでも勝手に善吉に激昂するなんてのはなくて。
そしてすぐに旅に行く善吉夫婦。娘のお花(名前は違ったかも)は、さっさと連れていく手筈になっている。
感動巨編なんかではなくして、最後まで軽いまま、しかししっかり楽しい一席であった。

帰り道は、江戸川橋駅に歩いてみた。
神田川沿いにまっすぐ歩くだけ。夏でもこのルートがいいと思った。

1時間の落語会を2席掛け持ちし、非常にいい気分です。

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