柳家喬太郎「品川心中」(真打ち競演)

NHKラジオの真打ち競演をらじるらじるで聴いてみたら、落語は喬太郎師ではないか。
毎週聴いてる番組でもないので、運がいい。早速取り上げます。
この番組はだいたい地方で録音しているが、今回は渋谷。

喬太郎師は本日7月10日が、鈴本夜席の千秋楽。
相変わらず夜席にはなかなか行けません。

喬太郎師は、廓噺を決して数多く持ってる人ではない。
首ったけは、マイナーな噺の割によくやってるのでは。
あとは、居残り佐平次と錦の袈裟を聴いた。
品川心中は持っているのは知っていたが、現場では遭遇していない。初めて聴いた。

面白いことに、「お気軽にキョンキョンと呼んでください。でも本当に呼ぶ人がいてコロしてやろうかと思いました」という、初心者向けのマクラを振る。
日本の話芸でもやらないのに。
やはり、3席のうち2席が色物という番組だからですかね。この日は「三拍子」の漫才と、AMEMIYA。

あとは、「べらぼう」のことば指導を弟弟子・左龍がやってると。
私は観てませんが。観ようと思ってますと振ってここから本編へ。

喬太郎師、先人の芸もしっかり引き継ぐ人だが、品川心中の骨組は自分で作っている。
「金蔵が匕首を忘れてきた」「東海道を犬に追いかけられる」「糠床に金玉落っことした」というシーンは抜いていた。
いつも抜いてるわけではないだろう。持ち時間が22分ぐらいしかないからと思われる。
寄席のトリの際は、抜けた部分が全部入るのかもしれない。特に犬の町内送りは見せ場の一つだし。
これだけ短くできるなら、マクラ抜いて寄席の仲入りでも出せそう。大ネタでも胃もたれすることは絶対にない。

で、初めて聴いたキョンキョン心中であるが、これも極めて師らしい、シチュエーションコメディである。
毎度書いていることだが、喬太郎落語の登場人物は、みな劇団員。
劇団員がさまざまな落語の人物を演じる。演者である喬太郎師の仕事は、役の割り振りと演出である。

品川心中の主役はふたり。
品川で板頭を張る女郎のお染と、バカ金と揶揄されてる貸本屋の金蔵。
お染は、「紙入れ」のおかみさんと同じ役者が担当している。感情を抜いて、空っぽの存在になったキャラを描ける役者。
気軽に心中を決意し、気軽にやめる、そんなカラッポの人間たち。

そして金蔵は、キョンキョン劇団の看板役者のひとり。
この役者は昔から、新作を中心に活躍してきた。純情日誌シリーズなどで。
一般のドラマでは脇役にしか出番がないが、劇団キョータローでは主役を張る。
思慮の浅い、単純な若者である。声はいつもうわずっている。
ややこしいことを考えて生きていないので、他人がコントロールするのは簡単。
お染に「死んでくれ」とは言われてないのに、勝手に付き合う男。

つまり、喬太郎演出による品川心中は、感情を喪った男女がごく単純に死のうという、気楽な噺。
なかなかここまで軽いものはない。
辰巳の辻占なら軽い心中ごっこが多いが、さすがに品川心中は大ネタ。大ネタにして、この軽さ。
二人あまりにも地に足がつかないので、演者の地のセリフが入る。「馬鹿ですな」。
首ったけにも入ってるが、非常にキョンキョンっぽい。

移り替えができないお茶っぴきのお染など、ペーソスたっぷりに描こうと思えばいくらでもできる。でもしない。
ここまで軽いと、師のオリジナルギャグなど特にいらない。
白装束のお揃いぐらいか。お染は何着ても似合うのに、金ちゃんは何着ても似合わないね。
ただ本来「お茶汲み」や「お見立て」のクスグリである、「目から茶殻を出す」が入っている。
あと、私設賭場でガラッポンやってるところに手入れが来たと思うシーンに、「サイコロ飲み込む」というのが入っている。

既存のクスグリも、徹底的に軽く使う。
「カミソリで切ると後が縫いにくい」「俺風邪ひいてるから」「桟橋は長い、命は短い」「俺、横になって水飲んでたんだ」など。
笑いを強調しようとすればできるクスグリの宝庫だが、決して力を入れない。

喬太郎師はご案内の通り、新作も古典も幅広くこなす人である。
品川心中は、大部分を先人の工夫に頼りつつも、キャラだけ新作落語の方法論から持ってきたという感じ。
別にこれが師のスタンダードというわけではない。古典落語といっても、さまざまなアプローチがあるわけだ。

べらぼうを利用して、廓の世界を、客の大多数が受け入れてくれる範囲で描く。
落語ってのは昔の社会風俗を描くものだから、わかろうとしない奴はヤボ、なんて態度は決して見せないのだった。

そしてラジオなのだが、釈台の前に腰掛けた師の所作や表情が浮かんできて楽しい。
でも、一度現場で聴きたいものだ。

コメントする

失礼のないコメントでメールアドレスが本物なら承認しています。