貞鏡先生は講談協会だからしのばず寄席に顔付けされて不思議はない。
だが、桃花師の女流企画などで落語協会の寄席に呼ばれる人でもある(会員ではない)。
落語協会の寄席にちょくちょく出ていながら、しのばず寄席に顔付けされるのはこの人だけじゃないか。
まあ、宝井琴調先生みたいに落語協会会員になったら広小路亭はダメなんだろうけど。
ますます腕を上げた貞鏡先生、もっと聴いていきたいものだ。
いずれしのばず寄席のトリも取るでしょう。
続いては春風亭昇々師。
今貞鏡さんとすれ違ったんですが、すごいいい匂いします。お香を焚いたような。
もうこれだけで好きになっちゃいますね。
一応私が先輩なんですが、「おにいちゃん」なんて呼んでくれまして。たまらないですよね。
今こんな時代ですから我慢しますけども、そうでなければ抱きしめてますね。
いきなりセクハラ全開。
いつもうわずった喋りの人なので、危険なネタも吸収してしまうが。
暑いですね。暑いとボーッとしまして。
寄席に来るときも、タンクトップに短パンとか軽装で来たいです。
でも楽屋にはうるさい師匠が多くて。襟付きのシャツでないといけないとか。下に1枚着ないといけないとか。
まあ、師匠方が来る前の早い出番なんかでは臨機応変にやりますけどね。
今日足袋忘れたんですよ。持っては来たんですが、両方左足でした。
仕方ないので右足には、左足用を履いています。普通足袋は親指とその他が分かれますけど、無理やり。
足袋忘れることありますよ。白い靴下履いてればそれで出るんですけど、白い靴下履いてることもそれほどないです。
旅先で忘れて買うこともありますが、足袋も高いですから。3,000円はします。
末広亭で足袋忘れましたよ。あそこは買いに行くところなくて、なので伊勢丹に足袋買いにいきました。4,000円はします。
お店の人が、噺家さんですかと。
え、私のこと知ってます?
いえ、この時間みなさんいらっしゃいますので。
みんな忘れるんですね。
私は今、埼玉の田舎に暮らしてまして。
落語に描かれる江戸の人情は、今田舎にしかないんじゃないかと思ってるわけです。
田舎の人は気軽に話しかけてきます。先日地元でダンボール抱えたおじさんに声掛けられました。
穫り過ぎちゃったので、ちょっと持っていかないかと。
野菜だと思って覗き込んだら、ザリガニでした。礼を言っちゃったので、2匹いただいて帰りました。
いろんな仕事しますよ。
結婚式の司会も。名古屋にギャラ5万で行って、祝儀3万出してきました。
(これは随分以前のネタだな)
先日も聴いた、青山学院の中等部で持ってなぞかけやらされた話も。
同行したねづっちは、「青山学院と掛けて頭の後ろと解きます。こうとうぶもあるでしょう」。
負けてられない昇々師は、「青山学院の学生さんと掛けて、桃と解きます。ピーチピチでしょう」。
…死にたい。
マクラにおける自虐の程度がすごくいいなと思う。
これと関連するが、昇々師からは、自慢めいた語りが一切聴こえない。
自慢とは、受賞であり先輩にハマる話であり、誰かに褒められたであり、CMの仕事であり。
私は、演者の自慢話自体はちっとも嫌いではない。だが、自慢が鼻につく人がいるのは確かだ。
現在の昇々師、このキャリアにして、自慢がない。
これは芸人として特筆すべきことかもしれない。
脳梗塞も経験した昇々師、人生丸儲けという感覚なのかもしれない。
暑い暑いと強調するので、千両みかんであろう。そうだった。
今年5月ににぎわい座で聴いたばかり。
でもそんなに気にならなかった。なかなか重厚な構造を持つこの噺を、マンガとして演じられる貴重な人だ。
楽しい新作もひっくるめた上で、この人の代表作と言っていいネタかも。芸術祭がまだあったら、優秀賞は獲れそうな。いやほんと。
落語のネタを漫画化したとする。絵が思いっきりデフォルメされていて、登場人物がみな二頭身。
昇々さんの古典落語は、そんな感じ。
デフォルメされた人物たちがギャグを繰り広げるわけではなく、みんなマジメに行動している。
だが、外の世界からそのマンガを覗き込むと実に楽しい。
主殺しの罪人のノコギリ挽きが肝。
ナンセンスが強くてグロさはない。
いや、そうでもないけども吸収しちゃう。
江戸時代はノコギリ挽きでなく磔刑だと思うけどね。
あと、二度目の噺で発見したが、画がダイナミックだ。
みかん蔵が開けられ、冷気が流れてくる。圧倒的なみかんを前にして身のすくむ思いの番頭さんがよくわかる。
みかんが千両する理由は、くどくは語られない。
客にわかることを説明しなくていいということだろうか。
前回みかんの袋の数を見て「♪とふくろさんよ」と歌う番頭であったが、今回は歌わず、つぶやいていた。