上野広小路亭しのばず寄席6 その3(ナオユキの舞台はまた進化した)

久々の広小路亭だが、スリッパ持ってきたのは正解。
靴を脱いで上がるこの寄席、コロナ以降はスリッパ備え付けられてないので。
持参をお勧めします。

続いてナオユキ先生。
この人も目当て。
昨夏にゅうおいらんずの席(浅草)以来なので、「夏、うだるような暑さ」から始まるネタが被るのはしかたない。
次が「祭り囃子が聞こえる」だが、タイトルが変わっていた。屋台のなんだっけ。

客席をあっためてから、酒場のダメ酔っぱらいどもへ。
これもネタ大部分知ってるのだが、面白さには何の影響もなく、やはり笑ってしまう。
それに新ネタもちゃんとあった。

新ネタよりも衝撃を受けたのが、細かい構成の巧みさ。
すでに確立しきったと思った鉄板ネタが、1年前より進化している!

こんな感じ。

  1. ネタA
  2. ネタB
  3. ネタC
  4. ネタD
  5. ネタA’
  6. ネタE
  7. ネタB’
  8. ネタF
  9. ネタA”

たとえば「俺はこんなところで終わる男ちゃうぞ」で始まる、オチの予測できるネタ(A)を、上のような順序で繰り返し、ちょっとずつ変えて出す。
最初は「おかわり言うことやろか」、次は「もう1軒行く言うことやろか」。
今までも似たネタは並列であったが、明確な構成で繰り返し出してくるようになったのだ。
客のほうは、ちょっと変えて出されるたびにすでに先が読めているので、なんとも言えないグッと来る感覚を味わうのである。
酔っぱらいのフーガ。

そしてもう一つ武器が。
演者が顔をかなり使うようになっている。ペロッと舌を出したり。
これは落語から学んだのかな。
以前から、カミシモ振ることはあった。

ナオユキは、一方的にネタを繰り出す芸だが、その実かなり客と対話をしている。
上野広小路亭のような小さな寄席では、対話の様子もよくわかる。

飲んだくれのダメ人間たちにしっかり共感したところで終わり。
ダメ人間に対するツッコミは、実は優しい。
私などダメ人間の立場でネタを聴くが、突き放す側で聴くのも自由。まあ、一番多いのは、どっちの気持ちもわかる人じゃないかな。

そしてこれはいつもそうなのだが、楽しいネタと一緒に消えてしまい、次の師匠にやりにくさを残さない。
ネタは大阪弁だが、粋な江戸前芸人。

仲入りは三遊亭遊之介師。
マクラは手短に切り上げて、幇間について。
季節的には、鰻の幇間。うなたい。そうでした。
羽織は脱がない。

遊之介師は悪くない。
ただ、昨年にゅうおいらんずの舞台で、師匠・小遊三の見事なうなたいを聴いてしまったのだけ難点。
小遊三師はセリフの行間がいちいちいい。
遊之介師は、野だいこと旦那のセリフを、切れ目なく続けて喋る方法論。これ自体は嫌いなやり方じゃない。

ちょっと家が首を傾げている汚い鰻屋の2階には、色紙が掛けてある。
井之頭五郎だって。
その隣にはアンジャッシュ渡部。ははあ、孤独のグルメかと納得する幇間。
隣に東洋大学の卒業証書が飾ってあったのが一番笑った。

展開をあまり欲張らず、時間もほどのいい一席。
旦那が帰ったのを知ったあとで酒を頼んだりはしない。
持ち時間は長いので、短く切り詰めたわけでもないのだろう。
師匠と同様、縫い付けた10円札を出してきたりはない。災難だが軽い。
漬物が、梅干しではないが梅で漬けてあった。

それほど混雑している席でもないが、仲入り休憩時は2階のトイレが混み合う。
小便器と個室が一つずつなので、小用だが個室に入る。そしたら前の人はお道具が曲がっているのか、便器の下が水浸しで。
こんなままでは出ていけないので、私がティッシュに吸わせて綺麗にするのだった。
何をやらせるんだ。
最後に便座クリーナーで床も綺麗に拭いておいた。

幕が開くと、釈台にテーブル掛け。国本はる乃さん。曲師玉川鈴。
この人も芸協の会員になっている。
本日のネタは「若き日の大浦兼武」。
昨年、シブラクで聴いた演目だが、浪曲は唄であるから別にいい。

薩摩から出てきた大浦兼武が食うために巡査になり、酔っぱらい岩倉具視卿の落書きした金屏風をなぜか弁償することになる。そのおかげで出世の糸口をつかむ。
言ってしまえばそれだけの話だが、楽しい。

それにしても、客も浪曲を聴く機会が増えたので、いつ手を入れるかという作法が結構わかっている。
落語講談と違って、浪曲の場合は「フライング拍手」がデフォルト。
ただそれがゆえ、「いかに人より早く手を叩くか」という客の争いが発生してる気がしないでもない。
違ったらすみませんが。

続きます。

 
 

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