上野広小路亭しのばず寄席6 その4(三遊亭円楽「宗珉の滝」)

更新遅くなりました。しのばず寄席のラスト。
桂三度さんは生の高座で遭遇は初めて。
むかし昔、NHK新人落語大賞で酷評したものだ。とはいえいまだに悪く思っているわけではなくて、楽しみにしてきた。
とんだ期待外れ。
客の多数は大笑いしていたが、私を含め笑っていない客が割と目立った。
この日2番手の立川談洲さんと似た感想だが、あの人の場合、あくまでも自分だけ合わなかったのだ。
三度さんの場合、もう大外れに思った客が全体の5分の1ぐらいはいたのだ(常に笑わない人も含まれてるかもしれませんが)。
先日、神田連雀亭でまったく笑わない客たちと遭遇し、おかげで全体の印象も下がってしまったということがあった。
そんなこともあり、私は「笑わない正義」なんて振りかざす気はない。ただ、ひたすらツラい。
別に歯を食いしばって笑わないよう頑張るとかそういうことではなく、本当に笑いが入ってこない。

マクラはテレビで観たパッケージだし。
いきなり、新横浜で見たにいちゃんが、「エベレーター」の感想を述べていた。
しかしそこにあったのはエスカレーター。

何が面白い?
ご本人としては、マクラから飛ばしてはいけない(全体の調和を崩す)ということなんだと思うが、でもわざわざつまらないネタから始めることはないだろうに。

本編は新作落語ではなく、代書。厳密にいえば先代米團治の作った新作だが、古典扱いなので。
「親父が逝ってしまうシーン」は、「カッ」と口を鳴らす宮治式だし。「セーネンガッピ」は権太楼式だし。
オリジナリティなし。教わったんならまだいいけど、違うでしょう。
この人も、私の観てないところで末広亭とか出てるはずなのだが、寄席の作法はまるで染み込んでいない。
だいたい、このヒザ前でやる落語じゃなかろうと思うが、ヒザの色物も長いしのばず寄席では言い過ぎかもしれない。
嫌になったので目を閉じたくなったが、声がでか過ぎて逃げられない。

ちなみに昨日、21日のしのばず寄席のトリは、同じよしもとの月亭方正師であった。
方正師のほうが最近、古典落語をしっかりやってる評価が高いと思う。

非常に嫌な感じで後半戦が進むが、目当ての宮田陽・昇はやはりいつも楽しい。
昨年4席聴いて、今年も2席め。もっと聴いても全然よし。
ネタは当然被るが、気にならない。

登場していきなり最前列のお客に「宮田陽です」。
時間が長いので、日本地図は沖縄まで。
広島はどうした。島根に吸収合併された。なんで島根なんだ。
機械的に「島根東洋カープ」なんて振るわけではなく、常にフレキシブル。
広島のつかみは、もみじの入ったまんじゅう。
そんなもの食えるか。ああもみじ型ね。
クスッとくる程度のものだが、後でしっかり回収する。
「お前反省することないのか」「最初のもみじまんじゅうのボケはあれはよかったのかと」

この日は時事ネタは少なめ。
聴いたことのないネタでは、ケーキ屋のバタークリームがあった。女の子のなりたい職業1位がケーキ屋だというので。
ケーキにバタークリームを塗る陽さんに対し昇さんは、「ここ8歳違うんですよ。ぼくの頃にはもう生クリームになってました」
というのが何だか楽しい。
女の子がケーキ屋に憧れるのはケーキ屋ケンちゃんのおかげだそうだ。

モンゴル相撲取りの本名とかマイケルちゃんとか。
「アグネス?」「チャンだろ」「ラムだよ」「お前のさじ加減だろ!」「今日の皆さんはラム世代かなと思いまして」「ラムもチャンも世代一緒だよ!」
うまい、うますぎる。十万石饅頭。埼玉の人しかわからないだろも入る。
ラストは秋田の天才少年から円周率。

陽昇のコンビは、ボケツッコミどちらも、次のネタを自由に振っていいみたい。
だからスムーズ。
無限の信頼。

トリの円楽師、私が当席のお掃除役ですと登場。
こうして振り返ってみると、人情噺を出す流れはよくわかる。私は好きです。
それにしても、名前を継いだ円楽師、急速に貫禄が出ていて驚いた。
先日末広亭で聴いた際も襲名は済んでいたが、トリの出番だとまるで違う。

横谷宗珉という人名が出る。腰元彫りの名手。
浜野矩随かなと思うと違う。

金明竹の言いたてをそらんじてる私には、「横谷宗珉四分一ごしらえ小束付きの脇差」という文句が頭に浮かぶ。
その弟子宗三郎、勘当されて諸国をさすらい、紀州へやってくる。
今だと「勘当」は親子でしか使わないが、師弟関係でも使うのだなと。
勘当のきっかけとなるのは、宗三郎が彫った小束の虎。
よく彫れてるのだが、宿屋の主人は見抜く。この虎は死んでいる。

主人と宗三郎の会話は、宿賃をめぐる、抜け雀みたいなシーン。
無一文なので、職業を尋ねるのだ。

この噺なんだっけ? 聴いたことのない噺も、だいたいどこかから演題が立ちのぼってくるのである。
横谷宗珉の名から、「宗珉の滝」だとわかった。音源も聴いたことないのでやや遅め。
それでも演題がわかったので、ああこの宗珉の弟子が滝に打たれて開眼し、二代目になるのだなと思いながら聴く。実に楽しい。
円楽師は誰に教わったのか。

落語の人情噺は楽しいものだが、場合によると「じっと我慢したら最後の感動につながった」というケースもなくはない。
我慢するような噺だと、それは最後満足してもよくないだろう。
この点、当代円楽師、ずっと楽しい。
クスグリなんか入らないのに。これはもう、人物が描けているからだ。

死んだ虎を見抜いた宿屋の主人に感服し、弟子入り志願する宗三郎。宿屋の一部を工房に与えてもらい。
しかしだんだん増長してきて、酒を飲みながら彫るようになる。そのほうがアイディアが浮かぶんだと。
しかし、工芸に造詣の深い紀州公のおかげで、鼻っ柱を折られる。

紀州公は中納言、というフレーズが出ていた。あれ、紀州公は大納言じゃないの? と思った。
後で調べたら、江戸初期は尾張と紀伊は中納言でしたね。

酒を断ち、滝に打たれて開眼する宗三郎、不眠不休で彫り上げた鍔からは、滝のしぶきが飛び、下に敷いた紙が濡れたという。

円楽師は「そんなアホな」を放置しておくとよくないと思うようで、あくまでも殿さまからの伝聞として語る。

よくない高座もあったものの、満足度の高いしのばず寄席でありました。

(追記)
思い出したので触れておきますが、人情噺のしんみりしたいいシーンで、スマホ鳴ってました。
伯山先生だったらキレてるんでしょう。

その1に戻る

 
 

コメントする

失礼のないコメントでメールアドレスが本物なら承認しています。