上野広小路亭しのばず寄席6 その1(一龍斎貞鏡「西行鼓ヶ滝」)

2年半ぶりのしのばず寄席(昼)へ。
上野広小路近辺はたびたびうろついているが、上野広小路亭はややご無沙汰。
2年前より500円値上げしたが、予約で2,000円とまだまだリーズナブル。
今日はかなりの顔付け。一龍斎貞鏡先生など気になる。
主任は芸術協会の客員となった七代目円楽師。
フライング披露目でもやったら面白そうだが、そういうことはないようで。
すでにここでは、5月に2日間披露目をやっている。円楽師の芸協入りの前に。

最近のしのばず寄席の香盤を見て気づくのは、「立川流の真打が少ない」こと。
しのばず寄席の番組は、実質的に芸協さんが作っているのではないかと私は想像している。
まあ、業界の綱引きはいろいろあるんでしょう。

いい高座と、そうでないものの差が激しかった。
貞鏡先生や主任・円楽師は素晴らしいものであったけども。

空調効いておらず、暑がりでない私をして、暑い。だんだん効いてきたけど。
客は30人ぐらい。

牛ほめ 幸路
あくび指南 談洲
西行鼓ヶ滝 貞鏡
千両みかん 昇々
  ナオユキ
鰻の幇間 遊之介
  (仲入り)
若き日の大浦兼武 はる乃
代書 三度
  宮田陽・昇
宗珉の滝 円楽

 

前座は芸協香盤の一番上にいる立川幸路さん。
以前も聴いた、牛ほめ。
相変わらず、親父とおじさんが与太郎に対し、ずっと眉をひそめている。
東京落語のエース与太郎を、そんなに詰めないでください。

お床も結構お軸も結構、あの掛け物は淵源禅師、唐画なすの掛け物でございましょう。なにやら上に讃がしてございます。売る人もまだ味知らぬ初なすび。これは其角の発句でございましょう。
のくだりがあったのは珍しい。前回もあったかな。

「売る人もまだ味知らぬ初なすび」の「まだ」が、与太郎の復習の段階で抜けてた。

そんなことはどうでもいいが、棒読み礼賛の私をして、この棒読みはよくないなと思った。
棒読みも、そこからいろいろ出てきて客の感性を刺激するからいいので、AIみたいな棒読みはどうもね。

二ツ目枠は立川談洲さん。
この人はなんと6年振り。
前回はまだ前座で、上手い人だなと感心した。
最初に断っておくと、今日のこの人すごくウケてました。だが、私はマクラから脱落してしまって。
スピーディな語りがハマらない。
でも、よくよく考えたらこれは兄弟子・吉笑と同じ作法。
吉笑師の意図的にスピーディな語りは激賞しておいて、弟弟子が同じ語りをしたら脱落?
それはちょっと勝手すぎないだろうか? 聴きながら自分でも、勝手な感想だと感じていた。
でも仕方ない。なんだろうな。

AIに落語を喋らせる話などマクラでしていた。
本編は、いきなり稽古のシーンから始まる変わったあくび指南。
連れの男はアニイではなく、同格。
稽古する男は、「お〜い船頭さん」が何度稽古しても「にょー船頭さん」になってしまう。
このあたり客にはバカウケ。
いや、他の客がウケてるのが理解できないなんてことはなく、完全にわかる。
完全にわかるのに、自分自身では笑えない。

ご本人を悪く言う気はないのだが、前座・二ツ目とハマらないと、ちょっとツラいです。
だが、貞鏡先生が取り返してくれた。
貞鏡先生は2年ぶり。その間に5番目のお子さんを出産されて。
笑顔と啖呵のギャップ、でもないのだけどこのマッチングが素晴らしい。

NHKのクラシック音楽館に出るそうな。8月24日午後9時から。
N響とコラボで、組曲「ペール・ギュント」に講談を入れたそうである。
ペール・ギュントは旅先のあっちこっちで女を作って捨てるとんでもない男ですとのこと。
大して詳しくもないが、自信持って引き受けましたとのことで、その様子を啖呵入りで再現。
今日の皆様は、番組ご覧になったあとぜひNHKに電話入れてください。300人のお客さまが電話すれば、NHKもほっておけなくなります。

観ますけどね。

本編は、西行鼓ヶ滝。
これは本日主任の円楽師もやるネタだ。コラボみたいな気持ちかもしれない。
そして、円楽師の出した「宗珉の滝」にも、最後主人公が一龍斎を名乗るというくだりがあるのだ。

講談に対する褒め言葉としては不適当かもしれないが、落語の地噺を聴く楽しさがあった。
落語の楽しさが講談に乗っていると思えば、実に贅沢な芸である。

落語のものと違い、西行の詠んだ歌は、こう。

はるばると鼓ヶ滝に来てみれば、沢辺に咲きしたんぽぽの花。

落語では、「伝え聞く」で始まる。最後白百合の花の場合もあるが。
「はるばる」は春が掛かってるのだ。
そして、実際に咲いていたのは白百合なのだが、鼓と掛けてたんぽぽになるのである。

そして和歌三神に直されたのが、こう。

音に聞く鼓ヶ滝を打ち見れば川辺にちちとたんぽぽの花

これも、落語だと「川辺に咲きし」である。川と(鼓の)革。
ちちは、少々というような意味で、たんぽぽの茎を折ったときに出る乳のような汁も掛けてあるのだった。

落語の地噺とますます似ているのだが、途中で脱線する。
西行が必死で山を降りようとして、自分の棒になった脚を杖にして歩いたというくだりのあと。

この読み物は、亡くなった上方講談の旭亭南稜先生につけてもらいました。
講談の稽古は長くても2時間ぐらいですが、南稜先生は休みなく6時間に渡ってつけてくださいました。
その際、棒になった脚のくだりについて、「ウケへんかったらウケるまでやんねや」とのことでした。
笑いに貪欲な上方講談らしいなと思いました。

貞鏡先生、なにからなにまで素晴らしい。

続きます。

 
 

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