高座の最中、ひらい圓蔵亭の見学に来てる人の話し声がちょっと気になった。
私はこの施設何度も来ているが、いまだに展示を見たことがない。いったいいつ見たらいいのか。
仲入り休憩後、着替えて希光さんのトリの一席。
えー、ただいますでに閉演時間の3時半を超えています。
時計が狂っとんのちゃうかと話してました。
ぼくは大阪の住吉区というところで生まれまして。
西成区に祖父母がいて、そちらにもよく行ってました。あのあたりで育ちました。
家は南海電車の粉浜と住吉大社との中間ぐらいにありました。
粉浜はすごいんですよ。笑福亭松鶴の家があったところです。ぼくはその近くで育ったわけです。
だから3年後、(真打昇進で)次の松鶴になりますよ。
…嘘ですよ。こんなんネットに書かないでくださいね。笑福亭はガラ悪いですから、ひどい目に遭います。
住吉の地名が付く、住吉駕籠という噺があります。
という、フリであった。
ちなみに笑福亭松鶴の家は現在「無学」という寄席小屋となり、鶴瓶師が管理している。
住吉大社は今でも初詣の客数が全国有数ですよとのこと。
希光さんとしては小さい頃からたびたび訪れていたスポット。
昔から賑わっていたから、当然駕籠も出る。
住吉駕籠、聴いたことがないような。別に珍しい噺というわけじゃないと思うが。
ただ、冒頭の茶屋の主人が啖呵を切って、「ヘソの穴から世間覗かしたろか」というセリフは聴いた事がある気がする。
東京でいう「蜘蛛駕籠」だっけ、「蔵前駕籠」だっけ?
蜘蛛駕籠ですね。
調べると桂塩鯛師が日本の話芸で昨年出しているが、あいにく録画し損ねたようだ。
蜘蛛駕籠はオムニバス落語の名作であり、非常に好きな噺である。原典のほうはどうだろう。
あれ、結構短いのだなと思ったのだが、これは希光さんがそういう編集にしていたからだろう。
持っているのが元々短いというより、時間を大幅にオーバーしているからかもしれない。
住吉駕籠もフルバージョンでやると、最後は蜘蛛駕籠と同じ底抜け駕籠で終わるようだ。
時間調整には便利な噺かもしれない。
もっとも、蜘蛛駕籠も出し入れできるはずだが、中抜きしたものはあまり聴いたことがないが。踊る男を抜いたものは寄席で聴いた(扇遊師)。
- 茶屋の主人を乗せようとする
- ゲン直しで駕籠の向きを変える
- 酔っぱらいの相手
希光さんが出したのは、以上であった。
蜘蛛駕籠は、1のあとに、客じゃないお武家。3のあとに踊る男がある。
そして2はない。場面が多くて消えたものか。
そして最後に、シャレで2人乗り込む男たち。
演題が「蜘蛛駕籠」だと、ここまでやらないとどうも座り悪いみたい。
住吉駕籠だと、なくても違和感ないのかもしれない。
サゲがしっかりついていて、着地はしっかりしている。
ちなみに、ヘソの穴から世間は覗かせない。
希光さんは、冒頭から弟分のほうのキャラを大きく変えてきているようだ。
古典落語には例がない、コミュ障みたいなやつ。あんまり客商売は向いてない。
声を出せないので、客が捕まらない。兄貴分にキツく言われて、茶屋の主人を捕まえてしまう。
何だかコミュ障を持ち出して、落語の師弟関係を語っている気がした。
そこまでは考えすぎかもしれないが、仕事でなんとかしなきゃと思って墓穴を掘るってよくあるなあと。私だってしょっちゅうだ。
そしてコミュ障なので、ゲン担ぎに駕籠の向きを変えるのが、うまくできない。
駕籠を担いでくるっと向きを入れ替えればいいのに、兄貴と平行移動してしまう。
これも師弟関係でこんなシーンありそう。
少なくともこの日のネタは、酔っぱらいがメイン。
蜘蛛駕籠でいうアラクマさん。
フラッと出てきたら知り合いの女が飲み屋で働いてるので、声を掛けられて飲みだし、ぐでんぐでん。
兄貴分にあんなのに声掛けたらアカンぞと言われるが、コミュ障なりの自然さでもってつい捕まえてしまう。
コミュ障に自然がある? でもそうなのだった。
希光さんのせいじゃないのだが。
蜘蛛駕籠の「あ〜ら熊さん」って素晴らしいセリフだなと思う。タイミングも完璧で、六郷の渡しに来るたびにこのセリフが入るのである。
それと比べると、何だか物足りない。
酔っぱらいは駕籠引きを散々なぶっておいて、来た道を元の方に戻る。
どういうこっちゃ。
勉強会から、ブログ4日分のネタが取れるとは思わなかった。
寄席もホール落語ももちろんいいのだが、時にはこんなスポットもいかがでしょう。
思わぬマクラも聴ける。
しかし、この男がでっち定吉だと特定されてるわけである。
演者さんのほうも、面倒かもしれません。
そんなことを考えすぎるとたびたびは来れないかもしれない。
(その1に戻る)