イチロー、若くして老害になる(マナー講師か、小三治か)

昨日書こうかと悩んでいた記事である。
悩んでたら芸人カップルの結婚発表が出たのでやめた。
もう1日夜まで悩んで、結局出すことにする。

もともとは落語と関係ない話。
元国民的英雄イチローの言動に端を発している。
英雄に元を付けたら失礼? しかし、この人は引退後世間にいささか失望を与えすぎではないか。
言わなくていい(言わないほうがいい)ことを言うこの態度は、志らく師匠っぽいなと。
いや、志らくより小三治かなと。

イチローが殿堂入り(MLB)で1票足らず満票を逃した際のコメントは、結構感心した。
「不完全であるのはいいこと」
ああ、とんがったまま現役を終えたこの人も、ずいぶん丸くなったのだなと感じたのだが。
今回の言動には改めて失望した。

イチロー氏が苦言「全く敬意がない」 現代野球の“所作”に一石…女子選手は「絶対しない」(Full-Count)

転載されたYahoo!(リンク切れ)では、批判が圧倒的に多い。
Xでは何ら盛り上がっていないことは、一応付け加えておきますが。
つまりヤフコメにおいても、懸命にイチローを貶めようという動きではない。ただ、みんな現在のイチローがあまり好きでないということが漏れ聞こえてしまっている。

イチローが女子野球を引き合いに、苦言を呈したのは次の2つ。

  1. ベンチでタブレットばっかり見るな
  2. リクエスト中、一旦アウトになった選手は下がれ。それが審判への敬意だ

1はまあ、これだけ単独で出すなら、どうということはない。
生の野球が目の前であるのにという。ただ、2と合わせると、そこそこ痛さが湧いてきてしまう。
より痛いのは2で、ヤフコメには賛同者がほとんどいない。
イチローにいまだ深い敬意を払う人であっても、「イチローさんはこんなことが言いたいんですよ」といったん翻訳してからでないと肚に収められない。

書かれてはいないが2塁の盗塁死のシーンなどが、批判が生まれる典型シーン。
捕手が強肩を見せ、見事2塁で刺した。だがランナー、いや、タッチをかいくぐっているはずだとベンチに向かってリクエスト要求を頼んでいる。よく見かける。
リクエスト判定中、イチロー御大は、このランナーいったんベンチへ帰れというのだ。

ハア?

イチローの苦言への違和感を、「試合時間短縮の問題」「プレーは未確定」「審判への敬意がなにに基づくかという根本的な問題」などといった論理から引っ張って否定する人もいる。
それはそれで説得力を感じるのだが、しかしそんな意見がなくても反論は容易。

「そんなルール(マナー)、誰が決めた」

これ一発である。
NPBにリクエスト制度が導入されて以降、毎試合のようにリクエストが実施されてきた。
その際に、「ベンチへ帰れ」などと指摘したのはこの元レジェンドが初めてであろう。
二塁ベースに残り続ける選手の誰ひとり、これが叱られることだなんて考えたことはないはずだ。
誰も、不快になど思ってこなかった。こだわりの強すぎるひとりを除き。

常に思いつきで世相を斬ろうとする志らく師匠のことも頭をよぎったが。
それよりもこれは、マナー講師を連想させる。
マナー講師が勝手なマナーを次から次へ導入し、世間を混乱させる動きが最近生まれている。
コロナ禍におけるマスクマナーとか、鬼のマナー講師のパワハラ騒ぎとか。
新たなマナーに根拠がないから批判されても仕方ない。
これを念頭に置いて、イチローの苦言を批判するなら。

「リクエスト中は選手はベンチへ戻れというマナーには根拠がない」

ただそれだけだ。
評価になど値しない。

女子野球という居心地いい場所を見つけられたのはいいが、こんな意味不明な苦言を堂々喋って疑問に思わないようでは、NPBではやっていけない。
巡回コーチすら頼まれないだろう。急にわけのわからないスイッチを押してしまいそうで、若手としては技術論も訊けはしない。
孤高の道を進むなら、落合博満になればいいのだが、ムリ。

イチローはすでに張本になってしまったというコメントも多かった。私もそう思う。
老害一直線。
石丸伸二でもいいけど。

さてここまで批判として書いてるが、私だってまるっきり人ごとだと思ってるわけじゃないのだ。
当ブログでたとえば、こんなマナーキャンペーンを繰り広げたらどう思います?

  • 演者が袖から出た時に手なんか叩くもんじゃない! 頭を下げてからだ!
  • 高座の模様を詳しく書くなんてマナー違反だ!
  • 演者の話をいちいちうんうんうなずいて聴くな!
  • スマホ鳴らすやつはボコボコにしていい!

あいにく、一つも繰り広げてませんが。
2番目のものは、私をこう批判するパクリ野郎がいるという話。
しかし私だっていったん立ち位置を見失ったら、わけのわからないルールを作りかねない気もする。
常に気をつけないと。

私はイチローを、でたらめな、ありもしないマナーを強要しようとする老害予備軍として非難しているわけである。
そして、それを生み出す根本的なゴーマンさを。

小三治を連想したのは、「鼻濁音」がキーである。
鼻濁音にこだわり、というか執着していた小三治は、楽屋で鼻濁音を言いすぎて、避けられるようになった。
言葉を大事にしたいというところまではわかるのだが、鼻濁音絶対主義になるとさすがに執着だ。
全国から人材の集まる東京落語界、むしろ「何だっていいんだ」という緩い基準を展開したっていい気もする。
鼻濁音が重要なのはわかるが、非鼻濁音狩りに懸命になる執着は、マナー強要と同レベルなのではなかろうか。

現代は鼻濁音を使えない人が古典をやっても、さして批判はされない。
鼻濁音だって一つの要素に過ぎないので。
だが最近、若手の強い鼻濁音を耳にする。得てして、東京出身者でない人のほうに感じる。
私は鼻濁音コスプレだと思っている。
ちょっと鼻濁音強すぎるんじゃないかと思いつつ、やってる本人が気持ちいいのだからいいのかな、と。

若手は、小三治の薫陶など元々受けていない。
ただ、先人をリスペクトして、古典落語に鼻濁音を残すのがいいことと思ってやってるのだろう。
うるさがたがいなくたって、価値を認める人がいれば残るのだ。
ルールやマナーの問題ではない。

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