弱々しい台風が抜けていって翌土曜日、急遽夜が空いたので出かけることにした。
横浜にぎわい座の「遊雀好み」が当日券あるということなのでこちらに。
二人会で、ゲストは林家たい平師。
たい平師の高座、最後に聴いたのが2016年でなんと9年前。池袋での橘家文蔵襲名披露であった。
ともかく面白そうな二人会。
昔テレビ用の、この二人会を観た覚えがある。遊雀師が堪忍袋の中で「このクスグリはたい平さんに教わったの」なんて話していたのを思い出した。
| オープニングトーク | 遊雀・たい平 |
| 四段目 | 遊雀 |
| 千両みかん | たい平 |
| (仲入り) | |
| 鰻の幇間 | 遊雀 |
素晴らしい内容だったが、席は前半分しか埋まっていない。
土曜の夜ってこんなもんですかね。
緞帳が上がるとメクリは「三遊亭遊雀」。
遊雀師がマイク片手に登場。
メガネを額の上に乗せている。
遊雀好みにようこそ。3回目です。
今日のゲストは私の同期。そして同い年(客、おー)。
この人には本当にお世話になって。今のアタシがあるのもこの人のおかげですよ。
林家たい平師匠です。
たい平師もマイク持って登場。
同期って言ったけど、アニさん半年先輩じゃない。
いや本当はね、たいちゃんのほうが先輩なんだよ。なかなか前座になれなかったからね。
弟子にしてもらえなかったから。見習い期間が1年半ぐらいあったんだよね。
オレなんかね、当時前座少なかったから、入門して1か月で楽屋入っちゃった。
でも落語協会では楽屋入りが早いほうが先輩だからね。
たいちゃんはスーパー前座でね。俺はしくじってばっかりだった。
でも、アニさんと一緒に叱られたことは多かったよ。
たいちゃんはね、前座の頃から売れる予感があった。志ん朝師匠もそう思ってたはずだよ。
ぼくにとってはまだ柳家三太楼だよね。三太楼アニさんって呼んじゃう。そのメガネ、掛けるなら掛けたら。しないならしないで。楽屋の延長みたいじゃない。
これね、ないと不安なんだよ。いつでもお客様の顔が見えるという安心ね。
今、若手で面白い噺する人いるじゃない。誰に教わったのって訊くと、だいたい遊雀師匠ですって言うんだよね(客、おー)。面白い熊の皮だね、遊雀師匠です。面白い堪忍袋だね。遊雀師匠ですって。
昔たいちゃんとね、茶番でいろいろ回ったんだよね。忠臣蔵五段目の山崎街道をさ、二人でやるの。
落語の仕事なかったからね。色物として扱われてて、志ん朝師匠のトリの芝居も茶番で出たんだよね。
白塗りでね。
本当は塗らなくていいんだけどね。
でもたいちゃん美大で心得があるからさ。
塗ってたら志ん朝師匠に言われたよね(モノマネ)。顔知られてる人が塗るからいいの。あなたたちが塗ったらどこの誰かわからないよ。
いろんなところ行ったじゃない。長崎の仕事(※これは後回し)。
仕事なんでも受けるんだけど、権太楼師匠に紹介してもらった司会の仕事は、お客さん全員コッチ(頬に傷)の人でさ。ひどかったよね。
あんときたいちゃん一生懸命盛り上げてたのに、うるせえって叱られてたよね。泣いてたよね。
そう、一生懸命盛り上げてたのに。
赤旗まつりも行ったんだ。広い公園でね。何千人も入るの。小三治師匠と一緒にだよ。俺、緊張しちゃってさ。たいちゃんが言うのさ。アニさん、ほら一杯飲んでってビール出すのさ。俺弱いのにさ。
一杯飲んでから一席やったんだけど、ムチャクチャだったね。
長崎行ったときだよ。あの頃茶番で全国回ってたから、ちょっと天狗になっててね。
そう、二人でタクシーの後ろで、ずっとこんなして文句言ってたんだよ。
ぼくら噺家ですから、本当は茶番でなくて、落語で呼んで欲しかったですねって。
散々言ってて。
そうしたら茶番の本番でさ。アニさんがこう(実演)倒れてるわけじゃない。ぼくがこうしてアニさんの懐さぐるわけさ。本物の芝居は財布抜き取って「50りょお〜」ってやるわけだけど。ぼくらのは、懐からパンツが出てくるわけ。なんだこりゃ、パンツじゃねえかって。
それでね、俺がむっくり起き上がってさ。財布もパンツも、おあしが入るものでございますってやるわけ。
なのにさ、懐に手ツッコんだら、パンツないのね。小声でアニさんに訊いたの。パンツないよって。そしたら忘れてきたって。楽屋に? 家に。
終わってから関係者に謝り倒したからね。
楽しいトークはどこまでも続くが、10分を過ぎると楽屋から鉦が鳴ってお知らせ。
今日は長い噺やるよということで、気合入る遊雀師匠であった。