遊雀好み桜木町二人会 その2(三遊亭遊雀「四段目」)

ひと晩経ったらトークのネタふたつ思い出した。
遊雀師(三太楼)が秩父に遊びに来た際の話。たい平師のお母さんと一緒にスナックに行くと、例によって三太楼が脱ぎだす。
母ちゃん、芸人がペロンって出したんだから祝儀出さないと。
ああそうかいアキラ、とお母さん三太楼のペロンと出た股間に祝儀を出す。
あら、またペロンって出たよ。アキラ、また祝儀出さないといけないかね。
母ちゃん、二度出すこたあないよ。

なんで脱いじゃうのかねと振り返る遊雀師。

それから、たい平師の池袋のトリの話。
うちの息子が楽屋でやることなくて、池袋の棚の上を掃除してたんだよとたい平師。
そしたら、茶番に使った刀が出てきたんだよ。
え、ほんと?
見てすぐわかったよ。今、うちにあるよ。

誰かの披露目の夜しくじった話もあった気がするが、これは忘れてしまった。

しかし、書いている今になって思ったが。
柳家三太楼の芸術協会移籍という衝撃の事件、主導したのはたい平師に違いないと。
なにしろたい平師は歌丸・小遊三・昇太の芸協3師とかなり太いパイプがある。
歌丸師は、笑点の内幕をラジオでバラした権太楼師をよく思ってなかったろうし。
そう考えると、遊雀師のたい平師に対する強い思いも読み解けるというものである。
たい平師がいなかったら、廃業したままだったろうと、そういう認識でいるのでしょう。
私の想像には違いないが、それでも実にいい話だなと思うのです。

女性の前座が出てきて座布団を出していく。
笑福亭ちづ光さんだ。高座はないが、師匠方のお世話で来ているようで。
ちづ光さんも、落語協会から芸術協会に移った人で、そういう縁と思うのは勘ぐりすぎか?
女性の前座呼んどいて下ネタだらけ。

そう言えば、先日ひらい圓蔵亭の「六人廻し」で春風亭昇市さんが追加で下ネタ出してたのをアップ後に思い出した。
思い出したからってわざわざ当該記事に追記するほどのもんじゃないし。そうだ、ここに書こう。

平井には総武線で来ました。新小岩に着いたら、小さい男の子が、「しんこいわ…しんこいわ…」やたら言うんですね。
ああ、これは言うな。
「ちんこいわ」
車内がほっこりしました。

脱線しました。
私が勝手にスッキリしたところで、実に楽しそうな遊雀師から。

先ほどまで二人で語っていた茶番について。
山崎街道のセリフを思い出して喋ってみる。
あ、出るね。また茶番行けるわ(客、拍手)。
そして、先ほどやってた芝居の失敗のくだりを、今度はカミシモ(覗き込むのと、見上げるの)振ってひとりで再現する。

(覗き込んで)パンツないよ。
(見上げて)パンツ忘れた。
楽屋に?
家に。
どうすんだよ。
たいちゃん、なんとかしてくれ。あとは任せた!

いやあ、それでなんとかしてくれる人なんだよ。
たいちゃんは住み込みでね。あの時代でももう珍しかったけど。文治アニキぐらいかな。
アタシも通いだしね。
鈴本の夜席終わって、たいちゃんは帰らなきゃいけないんだよ。
でも飲みたいから誘ってくるのよ。上野のガード下行くわけ。
30分しか時間ないから、たいちゃん着くなりビール5本頼むわけ。栓も全部抜いてね。
アタシは弱いから、ほとんどたいちゃんが飲むんだけどね。
それで山手線で帰るんだけど、たいちゃんは鶯谷だよ。
ホーム降りて、ドアが閉まる前に振り返ってアタシに言うのよ。
「ポ◯チン野郎!」
シャレなんだけど、そのあと車内の注目全部浴びるんだから。日暮里まで大変だったよ。

また下ネタか! そして小学生か!

せっかくだから芝居の噺しようかね。四段目って噺ね。
我々の茶番は五段目だけど、その前の塩冶判官切腹の場ね。
短い噺だから。

短い噺にしては日本の話芸でやってましたね。
私もその際と、現場でも一度レビューしている。
何度聴いても面白い。

柳家から出た人にしては、遊雀師は異端児だ。
柳家の人は、複数登場人物をみな同じ声で描き分けるのが作法。
身分も、男女差も、子供もみな。
いっぽう遊雀師は、ひとりの子供(定吉)を描くのに、あらゆる音域と声質を使う。
子供らしい可愛い声から、野太い声、ひしゃげた声。
真逆である。

思えば不思議なやり方。
こんな声の使い方をして、客が戸惑ったりはしない。それもすごい。
定吉であることはわかっていて、見失ったりはしない。
ともかく、次から次へ出てくる定吉の声のバリエーションに、次第に揺さぶられてくる。
こうなると、初めて聴く噺なのか、3度目なのか、そんなところに意味はない。
何度聴いてもハラハラドキドキ。

猪の脚は、前脚が菊之助を襲名した丑之助ちゃんで、後ろが菊五郎。
この襲名は落語好きにまでは浸透していなくて、あまりウケない。

上方落語の蔵丁稚(同じ噺)で、米朝は「劇中の芝居は子供の芝居ではなく、きちんとすべし」と語っている。
いっぽう三遊亭萬橘師は、四段目で子供の芝居をしていたのだが、これはこれでいいものだった。
遊雀師はというと、なにせ序盤から無数のパターンの定吉が登場しているもので、芝居が大人のものか子供のものかなど無意味になっている。
芝居の筋書きと所作をきちんと見せるシーンだから芝居をする。
そこから腹をすかした定吉に戻る。「本当は同じ人物」なんて気づきではなくて、最初からシームレスなのだけどやっぱり声を違えてくるので実に楽しい。

最初から楽しい一席。
続きます。

 
 

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