林家たい平師の千両みかん。
楽屋で聴いていた遊雀師が、トリの自分の出番の冒頭でいたく感心していた。
改変されたサゲに対し、これがやがてスタンダードになるかもねと。
皆さんは歴史的な瞬間を目撃したんですよ(拍手)。いや、遊雀師に拍手するのは変だけどさ。
とは言うものの、たい平師の最近の工夫というわけでもなさそう。そもそもCDが出ている。
CDの中身聴いてないけども、多分すでにこの改変はされているのでは。
ただ、それはそれ。プロを驚嘆させるサゲの改変だったということだ。
その同業者の感嘆そのものについて、いたく染み入った次第。
楽屋でたい平師と話したが、「あの番頭さんはみかん3袋持って逃げないでしょ」ということだったと。
サゲを変えて噺を劇的にドラマチックに変えた、そこまでは私も思わない。そういう種類の工夫ではないと思う。
ただ、たい平師には既存のサゲ、そしてウケどころであるこの場面は納得いかなかったのだ。
ラジオ深夜便を聴いたら、たい平師が落語の解説をしていた。この番組に出るのは初めてらしい。
そこで、強情灸について解説していた。
こんなサゲ新たにどうですとたい平師がさらっと紹介したのが、「もぐさは灸に止まらない」。
これだってめちゃくちゃ画期的な提案ということでもないけども、こんなこといつも考えている師に非常に感服したのであった。
さて、たい平師の千両みかん、サゲの改変だけで語れるわけではない。
客はずっと、夏のスタンダードな大ネタだと思って聴いてきてるわけだ。
既存のサゲで終わったっていいが、そこに新たな結末がついている。
サゲは画期的でも、客の心理としてはあくまでもおまけだ。序盤に遡ってすべてをひっくり返すわけではなくて。
みかんの形容、なんて言ってたっけ。プリプリして、の後。いやらしく聞こえる。
よく形容される「みずみずしくて」ではない。これが主人の前で繰り返される。
番頭、部屋中みかんでいっぱいにしますよと返事。でも、土用の丑だ。
ちなみに、例年よりも夏が暑いんだそうで。これが蔵の中のみかんにも影響する。
旦那に主殺しだと脅かされ、みかんを探しにいく番頭。
酷暑の中、みかんがあるはずない。なので八百屋で「ふにゃふにゃありますか」。
2軒目は、「み」で始まって「ん」で終わるものありますか。ありますよ、みりん。
3軒目は、「ありますよ。アルミ缶」。
番頭、「一応江戸時代の設定なんだ。アルミ缶のほうがあるわけないでしょ!」
実にたい平師らしいのだが、以前の私はこういうギャグは味消しだなと感じていた。
今、そう思う人も普通にいるでしょう。全然わかる。
でも今の私は好きなのだ。
金物屋でもって、磔刑の様子を詳しく聞く番頭。
錆びた槍をあばらの下に突き刺されるグロ描写。だが、たい平師、このシーンを実に爽快に語る。
爽快なわけないんだけども、楽しいからすごい。なんでこんなことができるのか。
演者が楽しんでるからに違いない。
ともかくここでみかん問屋万惣を知る。
暖簾をくぐって万惣へ。なんだか新鮮。
蔵から冷気がさあっと。しかし3番蔵までみかんは全滅。一瞬展開的にオヤと思う。
だがなぜみかんが要り用なのか知った万惣の主人、改めて箱を全チェックしてくれるのだ。そしてついに1個だけ見つける。
いったんみかんタダでくれる上方式。
番頭が、それはよくない、主人にも叱られると返してしまい、千両の値が付く。
ちなみに、夏にみかん買い求めにきた人は15年ぶりだそうな。
店に戻ると、主人は番頭に悪かったね、ありもしないみかんを探しにいかせてと深々と侘びている。
主人を悪役にしたくないたい平師の心意気か。これはサゲにも関係する。
大八車に千両箱を載せてみかんを求めにいくシーンはなかった。
若旦那はみかん3袋残して番頭に引き渡す。
番頭逡巡するが、逃げずにちゃんと分家してもらう。
旦那は番頭の逡巡を知っていた。なので番頭さん、改めて礼を言うよ。
そこで洒落たサゲがついているのだった。
たい平師、久々に生の高座を聴いた。
元々人柄が好きな人ではあるのだが、今回落語自体が気持ちよくハマってくれた。
トークとマクラで暴露話をする黒たい平もたまらないが、やはり本業の腕が素晴らしいなと感服。
寄席に出る機会が少ないし、出てもほぼトリ。
しかしもうちょっとちゃんと、若々しくも円熟の味を聴いていかないとと思った次第。
トリの遊雀師に続きます。
うなたいの最高傑作が聴けました。