訃報・柳亭左楽…実質引退していた人ではありません

柳亭左楽師が亡くなった。88歳。
左楽という名跡は落語史ではかなり大きいのだが、落語好きでも当代左楽師のことは知らない人が多いと思う。

噺家・芸人が亡くなった際、毎回その記事を書いてるわけではない。
ただ今回書こうと思った直接的な理由があって。
落語協会のリリース、「最後の高座は平成29年10月10日の池袋演芸場でした」とあるけど、間違ってる。
私は、平成30年4月21日に黒門亭(トリ)で左楽師聴いてるので。
ネタ出し厩火事。芸人そのものを語るような一席であった。
黒門亭は含めない、というルールならわかるけど、金原亭馬遊師の最後の高座は黒門亭で発表されてたから。
黒門亭が定席であることは疑いがない。協会のサイトでもそう書かれてる。
wikipediaにもこの情報が書かれてしまったが、落語協会の間違いです。

馬遊師の場合も、その黒門亭は本当の最後の高座ではなかった。
たぶん私もいたらくごカフェが最後。別に「最後の高座観た自慢」ではないから、その後もう一席あったのだとしてもそれはいいけど。

左楽師も、黒門亭以降も高座はあった。この方はお歳だが元気だった。
私は5たび聴いてまして。2回は令和。
黒門亭以外の4回は、昭和大学名人会。学園祭の無料落語。
左楽師はこの会の世話人だったのだ。
すでに故郷の広島・竹原に戻っていた師だが、毎年昭和大学名人会のため上京していた。
今年も10月12日に会は予定されている。左楽師もちゃんと顔付けされていた。
2年前のこの会では、86歳の左楽師がトリだった。
世話人だから通常トリは取らないのだが、なにか思うところがあったのだろうか。
聴けてよかった。明烏には、最近ない演出が多かった。
若手がよくやる噺だが、超ベテランなのに瑞々しい一席。
昨年は行かなかったのでわからないが、トリではなかったと思う。

あと2回は、権兵衛狸と、松山鏡、目薬。
権兵衛狸は、ほんとに田舎ののんびりしたムード漂う素晴らしい一席だった。
ありがとうございました。

つまり左楽師は、大ベテランにありがちな実質引退していた芸人ではない。
そこは強調しておきたい。
地元竹原でも、会は開いていたはず。聴けたお客は幸せだ。

昭和大学のおかげで、私も思わぬ縁を得られたものである。
たかだか5席くらいで威張るつもりはない。だが、いい経験であったのは間違いない。

柳亭左楽師は、黒門町の文楽の弟子。
左楽は文楽の師匠の名。
酒飲みのことを左利きなんていうが、左で楽しむとはそういう名前。
柳亭の亭号は、芸術協会を除き、すべて柳家のものになってしまった。なっていけないわけではないが。
左楽師が、最後の柳家でない柳亭だったわけだ。
この大きな名は今後どうなるのだろう。
柳家だからというわけではないが、柳家わさび師だったら名乗る資格はある。文楽→小満ん→さん生とつながってるから。
襲名披露のためにはさらに人気の上積みが必要かとは思うが。

(追記)
数え間違ってまして、左楽師聴いた回数5回でした。
松山鏡も聴いた。
訂正しました。

「訃報・柳亭左楽…実質引退していた人ではありません」への2件のフィードバック

  1. 左楽師匠に関する貴重な情報ありがとうございます。
    この名跡の今後についてですが、先代の五代目左楽は亡くなった時に当時の日本芸術協会所属であり、Wikipediaを見ると弟子の最後の方に八代目助六と四代目痴楽の名前があります。
    つまり五代目左楽は当代の助六、雷蔵、楽輔といった師匠方の大師匠です(楽輔師は入門翌年に、四代目痴楽が病に倒れたため夢楽門下に移るが、真打昇進時に四代目痴楽は存命)。
    外野席にいる者としては、痴楽襲名を断ったという小痴楽師が今後改名する時には、「左楽」のような大きな名前を襲名してほしいと思います。
    (死ぬまで「小痴楽」で、この名前を大きくするというのもアリですが)

    返信
    • いらっしゃいませ。

      柳亭左楽の名跡を5代目から考えるわけですか。
      亡くなったばかりの6代目を基準に置いたとき、直系がいないわけですから、師匠文楽から考えるものかなと私は思う次第です。

      小痴楽師は、芸協の会長就任と同時に痴楽襲名と勝手に思っております。

      返信

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