たまに書いてる、落語におけるスマホ鳴らしシリーズです。
最近も相変わらず、鳴ってるのによく遭遇する。
末広亭ではトリの一席でバイブ音が鳴ってた。
遊雀好みでも、隣の若いにいちゃんが鳴らしてた。音量はごく小さかったので、気づかれてはいないだろうが。
しのばず寄席のトリでも鳴ってた。
トリの一席というものは、時間が倍あるから鳴る可能性もそれだけ高いようだ。
今日は不特定多数のスマホをいかにして鳴らさないか、ではない。
これは答が出ている。鈴本方式(何度も繰り返しアナウンスをして、さらに遮断装置も起動する)をやれば、まず大丈夫。
あれだけ繰り返しアナウンスがあるのになお鳴らしていたら、もはや社会不適応者。
今日述べたいのは、人さまのスマホが鳴ったとき、それを気にしないで済ませる心構えについて。
こんなの書くと嫌がる人もたくさんいそうだ。
「そもそもスマホは持ち主が鳴らないようにするべきものである。それを怠った客が非難されず、嫌な目に遭った客が我慢しなきゃいけないなんてけしからん!」
それはまあそうなのだが、それでは何も解決しない。
発想の転換。
客も別にわざわざ被害者の立場になって、その境遇を嘆かなくてもいいのではないか。
「人のスマホマナーを必要以上に気にしない」という態度は、なかなか健康だと思うのです。
事実最近、私は気にならなくなってきている。
スマホ鳴らしは、寄席や落語会で起きた一つの事象に過ぎない。空缶やコインが転がって音を立てるのと同列。
たまにしか行けない人だと、貴重な一席で鳴ったスマホはなお許し難いかもしれない。
そうだとして、やはり気にしないほうが結局は健康。
大原則として、現代社会、他人には寛容であったほうがいい。
浅草演芸ホールなんてたまに出向く際は、いつもより寛容モードを強めにして出かけていく。
あそこのアナーキーな客をなんとかしようだなんて、思うだけ不健康。
今月は披露目があるから出かけると思う。
スマホについては、鳴るものと思って達観する。
なぜなら、電話だからだ。鳴るようにできているものは鳴る。
人情噺がピークを迎えている際にも、容赦なくスマホは鳴る。
だが人情噺の世界と、鳴っているスマホは切り分ける。
最近私はそもそも、あらゆる落語をこう聴いているので、切り分けるのは難しくはない。
のめり込んで落語を聴いていけないというのではない。のめり込んでる私もいるし、それを客観的に眺めている私もいるのだ。
もしこんな場面に遭遇したら、感情を交えず客観的に事象を眺める。
演者も、いい場面でスマホが鳴ったときに、ことさらに嘆くのではなく、なんとか工夫して欲しいものだ。
登場人物に「携帯鳴ってるよ」などと言わせてメタなギャグにするのは、すでにみんなやっている。
私が言いたいのは、その先だ。望まれていないスマホが鳴り響く不条理な世界において、鳴ったものに存在感を与えてやって欲しい。
鳴っちゃったものはもう、取り返しがつかない。
それを非難する(ギャグで非難するのはケースバイケースだ)となると、その一席は絶対に傷がつく。
無視できなければ噺を中断して鳴ったスマホに触れる以外はない。だが触れた以上その一席を取り返して欲しいのだ。
伯山先生のやり方は、だから間違っていると思う。
いい場面の啖呵で鳴った電話に怒りをぶつけることは、当日来た客の全員を巻き添えにすることに他ならない。
それがプロの仕事だろうか。
正解は恐らく真逆にある。
演者が、鳴ったスマホを咎めない。鳴らした無作法は許すも許さないもないが、鳴った事実については受け入れる。
受け入れた上で、どうするか。
噺を中断して、「こないだスマホでこんなことがありましてね」と持っていくとか。
「まあ、スマホぐらい仕方ないですよ。こないだお客さんの全員が時計とにらめっこしてましてね」
なんて嘘でもいいのでは。
とにかく、演者自身が気にしていないというポーズをなんとか作る。
解決策はこれしかないのでは。
鳴らした犯人を糾弾するのは、野暮ですな。
もっとも、私も仙人のような境地にはほど遠い。
客の無作法のすべてを許す心境になく、こんな客(痛客)は許せない。
- でかい声で高座の解説
- 100回後ろを振り返る
- オチを先に言う
- フライング拍手をする
- 一人で来てるのに、ずっと話をしてる
- 上目線で他人に落語を教えてやろうとする
- マクラで当たりをつけてネタをメモに速書き(ネタ帳ドレミファドン)
作為に満ちた悪マナーは嫌いなのだ。
スマホは鳴らそうとして鳴らす人はいないので、まだ罪は軽いかなと。
私自身はいつもスマホは切ってます。
「鳴らすかもしれないがゴメン」ではない。一番スマホ加害とは遠い客だ。
切るのは習慣になっていて、忘れない。その代わり、披露目の口上で撮影許可が出てもすぐには撮れないのだった。
はじめてまして。
落語を好きになって5年ほど経った者です。
わたしも最初の2年間くらいは、客のマナーの悪さに辟易していました(最初から最後まで袋を揉み続ける婆さんがいた!)。
しかし、人間もまた松竹梅だと気づいてからは、あまり気にならなくなりました。世の中の半分は梅です!たまに梅未満もいますが。
最近はスマホが鳴るのが寄席の醍醐味だとさえ思えるようになりました。
ただ、若手真打がトリの人情噺の最中に、「あーあ」と大声で欠伸をするオッサンがいた時には、ゾッとしましたよ。
わたしもスマホは電源を切ります。小さな映画館の試写会でも同じですが、だいたい撮影タイムに間に合いません。
いらっしゃいませ。
ご賛同いただける方がいて良かったです。
別に、鳴らしていいなんて言いたいわけじゃないですけども。
寄席にはいろんなことがあります。
不規則発言をする酔っ払いを叩き出した扇辰師なんて、普通には災難ですが、遭遇してみたかったですもん。
袋もみ続ける婆さん、いましたね。癖とは恐ろしいもので。
人情噺でアクビも、理解はできます。ただ、人情噺好きになれば解決するのに。