神田連雀亭ワンコイン寄席75(下・瀧川蛙朝「猫の手も借りたい」)

蛙朝さんの働いている忘年会に好好さんがいたのは、「好楽&鯉昇」の拡大一門忘年会だったからでしょう。
伸治一門も一緒だったっけ。

蛙朝さん、「ぼくは女の子大好きです」と堂々と語る。
これで変な感じにならないというのは、まずすごい。
普通の二ツ目となにもかも違うのだが、その特性、考えていたらちょっとわかった気がする。
普通の二ツ目は、「お客さんに受け入れてもらわないといけない」ので、手探りで接点を探していくのだ。一生懸命接点を探しているのに大失敗したりして。
蛙朝さんは、客に受け入れてもらおうなんて気持ちはないみたい。自分の面白さを堂々披露する。
これはもう、お笑い芸人の上を行ってる。

女の子のいるお店の話ではない、と断って入る新作落語。それ自体ウソだけど。
猫カフェである。
主人公が、「天一潰れちゃった。あとに猫カフェか」とつぶやいて、せっかくだからと猫カフェに入る。

猫ちゃんがやってくる。
ニャニャニャニャ言ってすりついてくる。
しかし、拒絶する主人公。
あなたなにやってるんですか。猫耳つけて。受付にいたお姉さんですよね。

「誰が喋っているかわからない」という、落語の特性をフルに活かす。
かなり高度な落語でありながら、先人たちが切り開いてきた新作落語の王道でもある。
そして、座布団の上で寝そべったりひっくり返ったり、やりたい放題。

泣く泣く語るお姉さん。
天一の匂いがどこかにしみついてるらしく、20匹いる猫たちがバックヤードから出てこないんです。
脱サラして念願の猫カフェを始めたのに!

考え直す主人公。
こういうお店だと思えば、1時間1,000円は安いんじゃないか。
猫耳の女の子を猫として扱おう。
なので500円払ってちゅーるを食べさせたりする。仕方なく、ちゅーるにしゃぶりつく女性。
これ、ちりとてちんだろうな。

猫であるのをいいことに、さらにエスカレートする主人公。
ひどい設定なのに、まるでひどくないのはなぜだろう。
猫好きの春風亭百栄師にやって欲しいなんてちょっと思った。師匠(鯉朝)も猫好きらしいが、師匠はやるまい。

このあたりで、なぜかセリフの間が空く蛙朝さん。
セリフ忘れたのかなと思ったら。

「この噺、短いな。まだ5分以上残ってます。おろしたばっかりなんですよ。仕方ない。もうひとつ短いの付けますね。とりあえずこの噺を終えます」

といって、スピーディにサゲる。
急にサゲられたんで忘れてしまった。もっとも多くの新作落語と同様、サゲなんて忘れて全く構わないが。
袖に向かって、「変則なんですけどすみません」と詫びていた。
好き放題してるようで、楽屋の先輩には礼儀正しい蛙朝さん。

こんなときに、小噺サイズの新作もあるらしい。
演題はホワイトボードによると、「凶器の桜」。
「猫の手も借りたい」はいいタイトルだと思ったが、こっちはそれほどでも。
と思ったけど、隠してある「同期」がちゃんと大学の同学年ということで掛かっている。そう思ったらうまいタイトル。

大学のキャンパスで、顔も知らない女子学生に付き合ってくれと告白される男。
ごめん、俺彼女いるから。
返答する前に、私は凶器を持っています。それを前提に答えてください。
と言って、鎖ガマを振り回す。
うわ、やべえ奴だ。逃げよう。
しかし鎖をうまいこと足に巻き付けられて逃げられない。

バカ落語なのに、ちょいホラーで、実に面白かった。
新作をやる若手もたくさんいるけど、変わった世界を描くたび、妙に生々しくなっちゃって引くこともある。
客を引かせそうな要素は蛙朝さんのほうがずっと強いのだけど、でも全然へいき。やはりハートの持ちようであろうか。

トリは春風亭与いちさん。
蛙朝さんのあとはやりづらいだろうなと思ったら、「なんだかこのあたり、湿気が高いですね。こんなやりづらい高座は初めてです」だって。
いろんな噺家がいて面白いですよねと。
私このたび結婚したんで(拍手)。もうあんな高座はできないですよ。

(拍手を受けて)あ、優しいお客さんなんですね。袖で見てたらわからなかったです。

蛙朝さんの残り香と闘うことは放棄し(懸命だ)、じっくり語ることで活路を見出す。
甚五郎を振って、竹の水仙。
舞台は鳴海宿だった。鳴海が舞台だったのは扇辰師だけども、中身は全然違う。
浪曲風に、「亭主、人を見かけで判断してはならぬぞ」という教訓が入っていたのは共通点か。
へえ、こんな本格派の人だったのだなと。

竹の水仙みたいな、主人公が実はスーパースターの噺は、客に湧く感情が得てしてありきたりになることがある。
特に、甚五郎が一文なしと知ったとたん、亭主がぞんざいになる演出なので、紋切り型になって不思議ない。
細川公の代で竹の水仙を買い求めに来る武士など、そのような描かれ方になるのも無理はない。
しかしじっくり語る与いちさんからは、陳腐な感情が噴き出してこない。
これは素晴らしいなと思った。「いい気味だ」とか「もののわからぬ奴め」「かみさん手の平返しすぎ」なんていうのが露骨に噺の表面に浮かぶと、かえって鑑賞の妨げになりかねない。
与いちさんも子供のころからの落語好きだったはずで、古典落語の楽しさが染みついてるんでしょう。

ちなみに武士の名は、「大槻玄蕃」でも「大槻刑部」でもなく、綿貫権十郎という。
亭主に対し、「お前も甚五郎先生によく謝るがいい」と勧めている。
亭主からは、「珍しい名前ですね、おたぬき様」と呼ばれている。

というわけで満足のワンコインでした。

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