仲入り休憩後、市馬師再度の登場。
結構眠くて困った。寝落ちはしてないと思うけど。
市馬師の寝床は非常に聴きやすく、終始いい気持ちであった。歌ってなくても音楽なのだ。
師がお世話になっていて、一番いいと思っている地方の会について語る。
どこへ行っても、この会が最高でした。ですが今日からは、どこに行ってもこの蕨の会が一番だと言います。
客は大喜び。
普通はこんなこと言った後、「まあ、よそでも同じこと言いますが」と断るものだが、それをしない市馬師。
義太夫について振り、寝床へ。
実にもってスタンダードな一席。どこも突出しないのに、しっかり面白い。
変に強調しないことが、絶妙の面白さを呼び込む。
口で言うのは簡単だけども、普通にやってどこも盛り上がらない薄口の芸って無数にありますからね。
もちろん、やりすぎてうんざりする芸もある。
- 旦那の義太夫は、ナチュラルにヘタ
- 義太夫を聴きにこない店子たちの真相は語られない
- 女中のお清の名は出てこない。かみさんと坊ちゃんだけ実家に避難している
- その他、ギリギリまで場面を削っているがしっかり面白い
- 繁蔵も、義太夫を聴く宿命を受け入れたうえで嘆いている
- 御簾内で語るのは、事実だけ説明され、理由は語られない
- 「義太夫が壁にぶつかって下に落ちる」はある
- 「抵抗力をつけさせるため」子供を連れてくる客がいる
- 料理のことはあまり語られない。羊羹のほうが重要
- かつての被害者の番頭などもひっそり
寝床という噺、得てしてクスグリが増える傾向が内在しているかもしれない。志ん生なんか「番頭さんはドイツに渡ってる」だもんな。
その他繁蔵が自分の運命を必要以上に嘆いたり。カシラが実際に出てきて(成田なんて)嘘っぱちとか、受付替わってくれとか。
あと、一度機嫌を損ねた旦那を、いかにして再度やる気にさせるかというノウハウに注力したものも見かける。
それらの演出も、決して嫌いなわけじゃない。ただ必然的に反動というものはある。
クスグリ増えれば必ず噺は重くなるものだ。
たとえば、旦那から本当にいやらしさ、老害臭が噴き出てくるとか。
市馬師の寝床は本当にシンプルだ。しかし物足りなさは一切感じない。
そして旦那の迷惑さ加減はどこまで行っても記号であり、はた迷惑であっても罪がない。
市馬師の寝床で目立つクスグリは、「がんもどきの製造法」ぐらいではないか。
これは大事なところらしく、充実している。季節以外は、シソの実を漬物屋で買って塩抜きしなければならない。
落語においては「あれ、何の話してたんだっけ」というのがしばしば重要な笑いとなる。
あとは、動物園の裏手を夜中に通ると旦那の義太夫が聞こえると。
現代は、ハラスメント要素を抱えた噺だと、客の変なセンサーが反応しかねない。
そこを避けるのは、実のところ結構大事だと思う。
別に、現代の客を意識してシンプルに刈り込んだわけでもないだろうが。古典本来の軽い味は、現代に有効だということ。
ワンコインで大ネタ2席聴けて、マクラもたっぷり聴けて大満足。
帰りは蕨駅ではなく、戸田駅に向かう。戸田からだと1日券の入口が浮間舟渡になるので、若干運賃が安くなる。
途中、大きなスーパービバホームがあった。
ここの2階のフードコート、マクドナルドのスペースにコンセントがあったので、ここで充電しながら初日の記事を書いた。
川を超えると、急にこういう商業施設が出現するな。東京にはあまりない。
そういえば、落語で埼玉に来たのは、3年前の朝霞以来ではないか。
字数がやや少ないので余計なことを書く。
蕨のライフで買い物をしたことがあるが、鮮魚コーナーが非常に小さくて。
埼玉県民というのは、「回転寿司もよく食べる。もちろん魚も好き」と自認しておきつつ、実際には肉ばっかり食べている人たちだと思う。
川を超えると、流通事情もあるが嗜好が突然、内陸ケンミンのそれになってしまうようですな。
たっぷりの日曜日。掛け持ちして計1週間分記事が獲れました。怒涛の7日間は本日、本記事と同時掲載でフィニッシュです。