神田連雀亭ワンコイン寄席2(春雨や風子「はれはれ」)

ブログのネタが切れました。
幸い、今日は出掛ける。しかもハシゴ。
前々から楽しみにしていた、柳家小せん師主任の池袋昼席。この前に、三度目になる神田連雀亭のワンコイン寄席に行ってみる。
淡路町から池袋は、丸ノ内線で一本だ。

連雀亭が終わり、池袋まで来てブログを書いているところです。

《神田連雀亭ワンコイン寄席》
駒次 / ガールトーク
風子 / はれはれ
市楽 / 粗忽の使者

神田連雀亭は、二ツ目さんだけが出る寄席。
天気が悪く、客席はつ離れした程度。
天気と同様、ちょっとどんよりした客席で、演者さんにはやりにくかったかも。

春雨や風子さんが前説。
この人の落語聴くのは実は初めて。色っぽい写真をよく見るけども、確かに色っぽい人である。
確か私より年上だったと思う。
色気の秘密は、ほんのちょっとの斜視のようだ。視線が微妙に合わないので色気が出る。

トップバッターはお目当ての古今亭駒次さん。
マクラは、学校寄席の生徒の作文を読み上げたり、この人の定番のもの。
だが客席が重い。
笑うのを拒否しているのではなく、ちょっとすれたファンが集まっているようだ。
初めて聴くネタの「ガールトーク」。ガールというのは、噂好きのおばさんたちのこと。
その場にいない他人の悪口で盛り上がるおばさんたちのあるあるネタに、盗聴やら、北朝鮮仕込みの特殊工作や、KGB仕込みの謀殺やらが出てくる。
面白いと思うのだが、客席はあったまらない。
それに今日の駒次さん、ちょっと言葉が聞き取りづらいところがあった。もともと、滑舌のいいほうではないが、そこをあえてテンポを上げていくところがいいと思うのだけど。
こんな日もあるのでしょう。

春雨や風子「はれはれ」

二人目は、ちょっと楽しみにしていた春雨や風子さん。

ネタおろしの予定でいたのだが、前日飲みすぎて仕上がらなかったとのこと。無頼派ですな。
桂枝太郎師匠に、売り物になると言われたという新作「はれはれ」に入る。
風子さん、真っ赤な羽織をいつ脱ぐのかと思っていたら最後まで脱がない。脱がないっていうのもあるのだな。

客席は相変わらず重い気がする。
しかし、風子さん、まったくブレない。

寄席でもっとも味わいたくない感情は、「いたたまれなさ」である。これが最悪。
感性で楽しんでいた落語から強制的に引き離され、「この人はなんでこんなにつまらない落語を熱演しているのだろう。この先どこに向かうのだろう。どこに行きつくのだろう。今、この場は修業なのだろうか。いや、聴き手が修業させられてるのではないか」などと思考があちらこちらに漂い出すことがある。
私は新作落語をこよなく愛するものである。だが新作の場合、古典よりさらに客と噛み合っていない作品が、客の上空を漂っていくことがなくはない。
二ツ目時代の三遊亭白鳥師はよくこんな高座を務めていたようだ。客にも、新作への理解が足りないという罪もあるが、でも災難に遭ったことには間違いない。

風子さんの「はれはれ」、このボーダーライン上を攻める作品だった。人の感性によっては、ボーダーラインを越えて転がり落ちてしまう場合もあるかもしれないけど。
実にくだらん噺。姑と嫁が、家計節約のためスーパーで係員に念を送って割引シールを貼らせようとするという。
姑は人目も気にせず、「貼~れ~」と念を送る。子供につきまとわれたり、大人に動画を取られたりして、嫌々ながらこれに付き合う嫁。
照れもせず堂々と、膝立ちして「貼~れ~」と念を送る風子さん。ステキ。

こんなくだらん噺だが、ちゃんとひとつの世界を確立している。薄っぺらく描くのではなく、どんどん攻めていくことで、人物が立体的になってくる。世界も生き生きしてくる。
日常から出ない噺だと思っていたら、急にスーパーの日常のほうが変容を遂げたが、確立した世界観はそれくらいではもはや揺るがない。

最近、落語に必要不可欠な成分として「架空の世界でのリアリティ」ということを強く感じている。古典でも新作でも。
今を時めく白鳥師匠の二ツ目時代にも、客がついてこれない理由として、「架空の世界のリアリティ」の欠如があったのではないかと思う。
いや、面白かった。

トップバッターの駒次さん、あとから思うと「世界観の確立」が弱かったかもしれない。
主婦の日常と、KGBがくっつくところが面白いのだけど、そこに断絶が生じていたかも。
いや、上目線に見えたらすみません。新作作る噺家さんのことは、非常に尊敬しています。

帰りに風子さんから、雷蔵師匠の会の無料チケットをもらった。一度行ってみようかしら。
雷蔵師は、芸協の昔の新作の香りを今に引き継いでいる、また面白い立ち位置の人だ。師匠も独特、弟子も独特。

深入りするとちょっと怖い気もするけど。

***

トリは柳亭市楽さん。
落語協会会長・市馬師の惣領弟子。この人はマクラから羽織を脱いでいた。暑かったんだろう。
汗を着物に垂らしながらの熱演であった。
顔をよく動かす人である。

師匠譲りの「粗忽の使者」だが、細かいところを随分と工夫をしている。
地武太治部右衛門が自分の名前を思い出す際に、肉親だけでなく、赤の他人の名前を混ぜたり。
この赤の他人の名前、その後も繰り返しギャグにしている。
喬太郎師にもらったギャグだろうか、尻の間の大事なところをつねったり。

でも、本編を一生懸命工夫しているのに、マクラはほとんど工夫していない。
定番マクラで勝負しろという、師匠の教えでもあるのだろうか? 確かに市馬師は、落語本編の付属品、定番マクラでもって、しっかりウケさせる人だが。
「同級生の女性が楽屋に来て、『変わらないわね』と言って帰っていったが、私が出たのは男子校」。
この定番ネタで笑えと言われても、スレたファンは笑わないよ。
いや、別に笑いが取れなくても、そのままスルーしてくれれば全然構わないのだけど、なぜか「ウケなくて変だ」みたいに持っていく。師匠はそんな客いじりはしないぞ。
つまらないマクラがウケないことに、理由はないでしょうに。自虐としても中途半端だし。

先に出た二人を指して「ああいうのが落語だと思われると困るんですが」とギャグにしていたが、古典派だって、新作同様噺を作り上げなきゃいけないのは一緒。マクラも手を抜いて欲しくない。
真打になったら、普通に面白い噺家さんになっているのだろうと思う。今のところは修業中という趣きだ。
世には、下手な真打もたくさんいるし、上手い二ツ目さんもいる。
いずれにせよ、連雀亭に来るときは修業中の噺家を観るという楽しみは忘れたくないものだ。

二ツ目さんの落語、面白いものだ。
冷静に考えて、今日のワンコイン寄席が圧倒的な内容だったというわけではない。
でも、単なる批判じゃなくて、なにかしら愛を持ってコメントしたくなるではないですか。
この後行った池袋、面白かったけども、真打全員について触れるつもりはない。

この日のようにたくさん聴くと、記憶が薄れてしまうということもある。特に私は、メモを一切取らない主義だ。
メモを取らない理由だが、自分の記憶のフィルターに引っかからなかったものには、書く価値がないと思っているからである。
書きたい内容だけ書いている。
ちゃんと聴いている高座は、あとでふっと丸ごとシーンを思い出したりすることがありますね。

池袋に続きます。

作成者: でっち定吉

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